廃業

 岡山県から遠く離れた地らしいが、そこである漢方薬局が廃業を決めた。10年くらい頑張ったらしいが、経済的に成り立たなかったのだろう。とても研究熱心な方で、知識が豊富だったらしい。しかし、顧客を集めるのに苦労していたらしくて、漢方メーカーの社員は相談に乗ってあげていたらしい。  廃業を決めて、そのセールスに電話連絡をくれたときの消沈ぶりは、声で充分伝わってきたらしい。恐らく10年前は、意気揚々と開業に踏み切ったのだろうが、実際にはそんなに甘くなかったってことか。自分で集客して、自分でお世話して、全て自分に責任がかかってくる。誰かのおこぼれを頂戴するようなことも出来ず、孤軍奮闘してきたのだろう。 余りよい話ではないから何となく具体的に尋ねない方がいいような気がした。だから、どのくらいの人口の町でやっていたのとそれだけ尋ねてみた。すると30万人くらいと言った。結構大きな町で、裏日本だったら県庁だってあり得る人口だ。僕が人口に限って尋ねたのはやはり、唯一の僕のハンディーがそれだからだ。だからその答えによっては参考にすべき所も多いのではないかと思ったのだ。ところが30万人と答えられるともうこれは比較の対象にはならない。ざっと僕の町の40倍くらいの人口があることになるのだから。そんなに人口があってどうしてやっていけないのか僕にとっては不思議でしかない。都市部は都市部なりで難しいこともあるのだろうが、狸や烏やかかし相手に商売をするのではないから、僕にとっては夢のような立地だ。都会で薬局をやった経験がないから、知識なし、愛想なしでも流行りそうだ。 僕は学問は好きではないから、漢方薬に関しても古典を読むようなことはしていない。まずそれをやっていないから、圧倒的に存在感はない。だから声高に漢方を名乗る資格はない。どんな会合でも小さくなっている。その代わり、実践的な勉強は良くやったと思う。田舎にあると言うハンディーのおかげで、「効かない」は致命傷になった。だから効かせる漢方をひたすら追求することで生き残っている。廃業を決めた方はまさに学者肌だったという。書物の上の学問では患者を治すことは出来ない。これは僕が独学でやっていた頃の教訓だ。 生薬が激しく高騰しているのに医者もドラッグもひたすら浪費する。ひたすらさばけばいい企業の犯罪性は原子力と同根だ。