仏教

 最近、親しくしているかの国の二人の若い女性に時々ついて来る子がいる。「ニホンゴ、ベンキョウシタイ」といつか希望を口に出したから叶えてあげたいと、教師を買って出たのだ。ある日彼女に高級そうなプリンを出してあげた。勿論わざわざ買ってきたものではない。どこかのセールスさんが手みやげにくれたものだ。日本のお菓子は美味しいからきっと喜ぶだろうと思っていたら、器を眺めるだけで食べようとしない。器と言うよりそれに貼り付けてある成分表を眺めているようだった。案の定それが読めなかったらしくて「ナニ ハイッテマスカ?」と質問してきた。どうしてそんなことを尋ねるのかと思って「どうしてそんなことを尋ねるの?」と逆質問すると「ワタシ、テラ、タマゴ、ニク、サカナ、サケ、ダメ」と真面目な顔で答えた。 良く訪ねてくる2人はクリスチャンだが、この子はどうやら仏教徒らしい。20歳を少し越えているだけの子達と、宗教の話をすることは日本では考えられないが、かの国では宗教は結構若者の身近にもあるのかもしれない。  3人の片言の日本語で僕に伝えられたことは、彼女は2ヶ月間卵と肉と魚と酒を口にしないということだ。何のためと言うところは分からなかったが、毎年1年間に2ヶ月そうした戒律を守るらしい。これだけタンパク質をねらい打ちにして食べないとなると一体何で栄養をとるのか薬剤師としては心配だからその点を問いただすと、果物と野菜らしい。勿論お米は完全栄養食に近いからお米だけ食べていても生きてはいけるが、現代の感覚からすればほとんどプチ断食だ。「身体大丈夫?」と尋ねてもいつも「ゲンキデス」としか返ってこないのは、意外とこうした期間限定のプチ断食が貢献しているのかもしれない。少なくとも万年栄養過多の日本人よりはましだろう。どうりで今まであった全員がとてもスリムで、それでも尚健康的なスタイルをしていた。あの窮屈そうなアオヤイが似合うことから世界で一番スタイルがいいと言われるのも頷ける。顔を見なければまるでモデルのようにも見える。 話がそれたが、「これ美味しいから内緒で食べればいいではないの」と悪魔のささやきをしてもがんとして食べようとはしなかった。日本語が出来ないから仏教のことをテラ(寺)と言って 手を合わせるが、何の気取りもなく生活の中に自然に織り込まれた信心に何故か安堵した。この1,2年、信仰が何か特別なものであるかのような雰囲気に違和感を感じ続けていたから、「如何にも」のない肩の力が抜けた、それでいて本物であろう姿に救われたような気がした。  いつかあの子の為に僕は寺ガールになる。