死因

 まるで虫の知らせのように、目の前の男性にお母さんの消息を尋ねた。時々買い物に来るからチャンスは何度もあったのだが、顔を見ているうちに尋ねてみたい気がしたのだ。 男性は1年前に亡くなったと教えてくれた。僕が牛窓に帰って薬局の店頭に立って毎日、それこそ元旦以外は通い続けてくれた。僕は牛窓に帰って以来、子供達がスポーツ少年団にはいるまで、元旦以外は休まなかったから、その人も又僕が店頭にたった日と同じ数だけ薬局に来てくれたことになる。そして僕と同じように休まず働いていたことになる。僕が漢方薬を勉強し始めて、何となく薬局の形態が変わった頃から段々と足が遠のいていった。居場所がなくなったのだろう。ただ恐らく20年間くらいはそれこそ営業日には必ず朝一番にやってきてくれていた。椅子に腰掛け、タバコを吸いながらリポビタンを一本飲む。その間10分足らずだろうが、色々な話をした。根っからの働き者でまるで便利屋さんのようにありとあらゆる作業をこなしていた。体を使う仕事なら何でもした。頭を使う仕事とは縁遠いし、似合いもしなかった。リポビタンが食事代わりのような人で、ご飯を食べているのだろうかと思うくらいやせていた。だけど病気など一度もしたことがない。毎日リポビタンを1箱買うだけ(家族中で飲んでいたみたいだ)を20年続けた。 この何年間は、時々風邪薬を買いに来るくらいだったが、何となく死因が気になった。80歳は過ぎているだろうから、どんな病気でも不思議ではないが、僕を薬剤師として育ててくれたうちの一人だから気になった。すると息子さんが肺ガンだと教えてくれた。これは頷ける。あれで肺ガンにならなければ他の人が浮かばれないくらいの生活ぶりだから当然と言えば当然だ。僕がやっぱりなという表情をすると彼が武勇伝を一つ教えてくれた。「入院してもタバコを吸っていた」と。  病院なんか行くことは当時想像も出来なかった。たださすがに最後は病院に行ったのだ。働かざるを得ない人が、働くことが好きだったら、こんな人生を送るのかという風な人で、その生き様が若い僕にはまぶしかった。同じような前時代的な強者達に鍛えられ教えられ薬剤師としてこの町の人の役に立てるようになった。教育などとは無縁の場所で僕は大いに鍛えられ、知識を授かった。そして何よりも自然体というものを学んだような気がする。当時、田舎で懸命に生きている人達の純朴さに日々接することができたおかげで、あの落ちこぼれ薬剤師もまっとうな世界に戻ることが出来た。