君臨

 昔の薬局は、毎日やってくる人が何人かいた。そのほとんどはリポビタンを飲みに来る人で、1本飲んですぐ職場に急ぐ人もいれば、10分も20分も話し込む人もいた。1年364日(僕は牛窓に帰ってから10年くらいは元旦しか休まなかった)同じ人と会話をするのだから、会話力は鍛えられた。少しの出来事でいくらでも会話をすることが出来た。もちろん多くの知識も得た。  この男性もその中の一人だ。珍しく立派な肩書きを持っていた。飲むドリンクもさすがに高額なものだった。肩書きは家の中でも通用するみたいで、奥さんや子供に対して君臨していた。平気で家族を人前で馬鹿呼ばわりできる最後の世代だったのかもしれない。  薬局が病院の薬を作るようになって、のんびり世間話が出来る時間や雰囲気がなくなって、「毎日組」は次第に居場所を失って一人もいなくなった。遊びのないハンドルの様に薬局の中も随分と無機質になった。その男性は、ヤマト薬局でしか手に入らない薬を必要としたときだけやってくるようになった。もっとも牛窓にある会社を定年退職したから、用もないのに岡山市からやってくるのも無駄足だ。年に1度か2度の来局でもなんとなく様子は分かる。リタイアしても嘗ての栄光は維持していた。ところが数年間顔を見せなかった。  昨日久しぶりにやって来て分かったことだが、自身の癌の発症と、奥さんの死に見舞われて、あまり外出しなかったらしい。最近になって心の喪があけたのか以前のように外出は出来るようになったが、ゴルフ三昧も、自身の所有する船での釣りもやめたらしい。年齢も重ねてすっかりお爺さんになって、以前の勢いもない。柔道で鍛えた肉体も見る影がない。今は自称「独居老人」で自炊をしたりスーパーで買ってきたものを食べたりしているらしい。職業柄付き合い酒も多かったが、誘ってくれる人もいないし出かける体力もない。自慢の庭も、植えていた木が大きくなりすぎて、3メートルの脚立でも届かない。もっとも怖くて脚立にも上れない。先日訪ねて来た息子さんが、「庭が汚いから、ブルできれいに整地しよう」と提案したらしいが「わしが死ぬまで待ってくれ、わしが死んだら更地にしてくれればいいから」と待ってもらったらしい。家族に「何ぬかす!(なんてことを言う」が口癖だった面影はない。  久々に自虐ネタで話が盛り上がったが、やはり僕は薬剤師だから薬局を出て行くときには希望を持って出て行ってもらわなければならない。そこでお別れを言って出て行くその男性に優しく声を掛けた「〇〇さん、絵に描いたような不幸じゃが!」