空の巣

 僕よりはるかにあらゆる面で恵まれいる方と話をしていた。話の成り行きで連休をどう過ごすかという話題になった。 その方はお嬢さんが帰ってこられるらしくて、どこにも出かけないと言っていた。家にいて迎えてあげるってことだろう。ところが「帰ってきても別に話もしないからいてもいなくても同じなんだけれど」と、笑いながら言われた。そして続けて「同じ家の中にいても他人と同居しているようなものです」とも言われた。名前を出せば牛窓で知らない人はいないくらいの方だが、この正直な話にこちらの気持ちが一気に緩む。本来なら家族揃って外国旅行にでも行かれるような肩書きの方だが、一人孤独なお父さんを演じるところが、又それを正直に吐露するところがいい。聞いていて何故かほっとする。  えてしてその逆の光景に目がいってしまいがちだが、多くの人が実際にはこのような環境で暮らしているのかもしれない。華々しく喧伝される幸せごっこと実は遠いところで、庶民は生きているのかもしれない。  家庭のことはさておいてその方はもう一つ面白くてこれ又ほっとするようなことを教えてくれた。休日に、県内のローカル駅を訪れその駅周辺、あるいは一駅を歩くことが好きなのだそうだ。街歩きならぬ町歩きだ。日常からそれだけで解放されるらしい。印象深かった場所を少し話してくれたが、聞いているだけで何となく田舎の光景が目に浮かんで、マイナーだが結構趣がありそうな昼下がりの風景を想像した。 実はこうした話題を出したのは僕の方なのだ。お父さんの役割も海外旅行もその方と同じようなものだから、どうして連休を乗り切ってやろうか迷っていたのだ。偉人達のある人は激しく生きろと説き、ある人は休息しろと説くから、僕ら凡人にはどうしたらいいのか分からない。佐渡の説き、いやトキではないのだから絶滅危惧種にされないように懸命に存在しなければならないが、財布にだけ生えた羽のおかげで身動きとれず、空の巣でも温めておくしかない。