けなげ

 それはけなげな姿だった。  漢方の勉強会の会場から母の施設へ、旭川に沿って延びる道路を南に下っていた。その道はいわば主要道の抜け道で、全く信号がないからとにかく早い。ただ、いいところもあれば必ず欠点もある。  川沿いを走る道は、車がやっとすれ違える幅だ。対向車が来れば自然と速度を緩める。なぜなら例えば上流に向かうときには、落ちたら死ぬ箇所が何箇所もある。直接川に落ちるから、助からないだろう。と言うのはガードレールがないのだ。最初に通ったときには何故ガードレールがないのか不思議だったし、何故こんなに危険なところをこんなにたくさんの車が通るのか不思議だった。前者の疑問は今だ解けていない。  今日僕は母の施設に向かっていた。だから川とは反対側を走ることになる。車の中から見えた光景だが、それはそれはけなげな男の子を見せてもらった。  ガードレールの代わりにはならないが、岡山市をもってしても予算不足か、草がまるでガードレールのように連なって背を伸ばしている。そして御他聞に漏れず、道にかなりせり出している。それは幼い子が自転車に乗って走っているときに、ちょうど自分の顔辺りまで背丈を伸ばしている光景を想像してもらえればいい。お父さんと見られる男性が当然道ぎりぎりに自転車をこいでいる。その後に幼い子供が続いている。お父さんは当然、川にも落ちない、車にも跳ねられない辺りをこいでいた。その後に幼い男の子が続いていたのだが、子供は恐らく父親の指示通りのところを走っていたのだが、顔にその草が丁度当たる。草の壁みたいになっているので、顔に次から次に草が当たっている。そしてそのたびに我慢の顔をしていた。もう少し道路側を走れば当然回避できる痒さ?痛み?だっただろうに、少年は果敢に草に触れながら走っていた。きっとお父さんの助言を誠実に実行しているのだろう。少しスピードを落とさなければならない状態だったので偶然目撃した光景だったが、少年の親の言いつけを従順に守っているかのような姿がけなげだった。