墓石

 余程この人を恐れている人が多かったのだと思う。政治家然り、役人然り、検察然り、マスコミ然り。それぞれの分野で長年うまい汁を吸っていた人達が、その茶碗をもって行かれる危惧を一斉に抱いたのだ。みんながぐるになればこうしていとも簡単に人一人など葬り去ることが出来るんだと、恐ろしさと、それに気がつかずにのほほんと暮らしている人達に憤りを感じている。好き嫌いは別として、よってたかっての構図が僕には不愉快だった。そして報道によって、いとも簡単に誘導される国民が情けなかった。嘗て同じような屈辱を味わっているはずなのに全く同じ構図の中に閉じこめられている。力を持っている人達にとっては簡単に手玉にとれる国民なのだろう。 本人はどのくらいの時間を費やしたのか知らないが、又国民はどのくらいの果実を得られなかったのか知らないが、ひょっとしたら「惜しい時間だった」かもしれない。敵対する人達はまだ仕方ないが、同じ釜の飯をくらう人間が、弾劾すべき相手を間違って正義面していたのは余計醜かった。本質を捉えることが出来ない人達が、国会なるところにはびこっているのだから、国民に希望はない。原子力に関する数々の裏切りも、彼らの力量だったらさもありなんてところだろう。僕の町の言葉で言うと「しれている」のだ。尊敬の対象にもならないそんな「しれている」人間達がバッチをつけて威張っている。  一人の人間のせいで、何かが変わるほど期待はしていないが、一人の人間を葬り去ろうとしたことが暴かれたことは価値がある。そこかしこで増殖している前時代こそが墓石の下で覚めない眠りにつくべきだ。