正座

「なんかわからんけど、先生、頑張って作って」と、ゆっくりとした口調で若干訛りながら最後にこう言って電話を切った。なんとも言えぬ倦怠感を醸し出す女性だが、言葉の向こうに秘めたる魅力も見える。本人はそれをやる気のなさだとか無気力で片づけてしまうが、僕にはそうは思えない。青春期のある時期、ちょっとしたボタンの掛け違えで能力の発揮場所を手に入れれなかっただけのような気がする。欠点と長所などいい加減なものだ。場所やタイミングによって入れ替わる。 もう何度も何度も電話で話をしているから、まるで娘のような感情移入をしてしまう。つい最近その彼女が一念発起して遠路訪ねてくれる決心をしたのだが、実現寸前になって断念した。惜しかった。彼女がもっとも苦手な外泊が実現しそうだったのに惜しかった。やっと越えることが出来ない壁を越えるのかととても期待したのだが、今回は見送られた。あの甘えたような無気力なような、絶妙の倦怠感を生で味わうことが出来なかった。  若者達が一体何を標準に自分を卑下しているのだろうと、この歳になると思ってしまう。若いだけで美しいのに、若いだけでエネルギーに満ちているのに、何をそんなに自由に生きることを躊躇うのだろうと思ってしまう。生きづらさは彼らに責任はない。老人が自分たちの都合を優先して作り上げた秩序に若者が翻弄されているだけだ。まさか自分の子や孫がその犠牲になるとは思ってもいなかったのだろうが、他人を傷つけたり搾取したりすることをいとわなかったツケを今払わされている。社会という名の座敷で足を崩すことも出来ずに正座を強要されている若者の姿が哀れだ。