臨場感

 岡山駅前で行われた、れいわ新選組山本太郎の街頭演説意を聴きに行ってきた。彼の演説の多くをユーチューブで聴いているから、彼の喋る内容はほとんど想像がつく。取り立てて目新しいことはないのだが、臨場感を味わいにと言うところが本音だろう。ところが「聴きまくっている」から、臨場感どころか、あたかも家でユーチューブを見ている延長のような気がした。しいて言うなら、2時間以上戸外でたち続けて聴けた僕の腰に感謝だ。よくも持ってくれたものだ。
 現場に出かけ良かったことは、若者の比率が高かったこと。政治的な集会ではその比率はあまり経験したことがない。山本太郎の視線が、貧困の若者に向いているからその成果かなと思うが、希望ではある。僕ら世代の古臭い政治好きでは、何も社会を変えることができなかったのだから、新しい思考の持ち主の、新しい感性に賭けるしかない。
 貧困はかつては革命や暴動の原動力だったはずだが、この国では極度に安上がりの去勢術だってことを権力者が気が付いた。貧困になればなるほど、無気力になり権力にたてつかないことがこの何十年の日本での社会実験で分かった。だから奴らは貧乏人のための施策を考える必要もなくなった。ボンボン金持ちに恩を売っておきさえすれば、政権、自分の権益は安定することを悟ってしまったのだ。だから若者や貧乏人にはこの国では日は当たらない。ますます暗闇に追い詰めておけばいいのだから。
 れいわ新選組が、山本太郎が直接若者に語り掛けることで、眠れる血気を呼び起こそうとしているのだろうが、果たして屋敷の中で飼われているペットから、野生に戻れるかどうか。原稿なしでマイクを2時間握り続ける姿は目に焼け付けてきた。