点滴

 笑っちゃいけないけれど笑わせて。朝からこんなに楽しいことはない。 ある中年男性が「救急車に乗った」と打ち明けた。どうやら2週間前くらいの話らしいが、今日までに数回薬局に来ているのにその話は伏せていたらしい。僕は彼を中学生の頃から知っているし、あるお世話をしているのでしばしば薬局に薬を取りに来る。意外と格好しで、プライドが高いから内緒にしていたのかもしれないが、その後のことが気になって打ち明けたのだろう。 なんでも、車を運転していたら急にしんどくなってシートに横になっても治らなかったらしい。心配したお嬢さんが携帯で救急車を呼んでくれて運ばれたらしい。その後ウツの薬を飲まされていると言った。「オレはウツ病だろうか?」と言うくだりが彼にとって一番興味のあるところなのだ。  彼についての情報は親よりも沢山持っているので、僕はこれだけの会話でことの顛末は全て理解できた。ウツ病ではなくパニックを起こしただけなのだ。だから「救急車が到着したら自然に治ってこなかった?」と尋ねた。すると彼は「そうなんじゃ、治ったから救急車には帰ってもらおうかと思った」と驚いたような顔で答えた。「あれが違う娘だったら救急車を呼んで貰えなかったかもしれない」と照れながら言ったが、合わないお嬢さんもいる。「病院で、何か心配を抱えているのではないですかとか、疲労が積み重なっているのではないですか?とか聞かれた」と教えてくれたがそんなもの今に始まってはいない。家族の中で孤立して孤軍奮闘で過酷な仕事に精を出しているから、どれも当たっている。いくら頑張ってもねぎらってくれる人がいないのだ。仕事のモチべーションを酒だけで保っているような人だから、危ないものだ。危険と隣り合わせで働いているのにご苦労さんの一言もなければ酔わない酒に飛び込むしかないだろう。体力が年齢と共に落ちてきたところに、極端なストレスが重なってふがいない結果になったのは見え見えだ。「ついに救急車に乗ったか。即、霊柩車でなくてよかったな」といって二人で大声で笑った。  繊細とはまったく縁がなさそうな人間なのに、抱えきれない重荷を背負わされればさすがに心を病む。「少しはまっとうな人間になっているではないの」と言う僕の励ましで恐らく彼は治る。不安障害の薬をウツの薬と思いこんで頑張って飲んでいるが、それは似合わない。酒という名の点滴で今まで自他共に認める働き者でおれたのだから。