最終章

 漢方薬の相談をしてくれた男性は、ヤマト薬局のチラシを新聞折込で見つけて「わらをもつかむ気持ち」で電話してくれたらしい。隣の市で車だと30分くらいで来ることができるが、郵送を依頼された。理由は目が若干不自由で車に乗れないと言うことだった。そして家族がいないから取りに行ってもらうこともできないと続けた。
 症状を聞いていて、僕は「わらをもつかむ」病気ではないと感じた。病院の薬で十分治って、漢方薬の出番などないと思った。それなのに長い間、改善せずに引きずっている。どうしてだろうと疑問に思っていると男性からヒントとなる出来事を聞かされた。なんとわずかな間に奥さんとお嬢さんを立て続けに亡くされたらしいのだ。理由を尋ねることはしなかったが、その悲しみは想像できる。正気でおれる筈がない。不自由を抱えて一人残された不安も大きいと思う。悲しみと心細さ。人生の最終章に入ってなんて大きな試練を与えられるのだろうと思う。
 若者の孤独は時として大きな力を生み出し、大きなことをなす原動力にもなるが、人生の最終章での孤独は生み出すものは少ない。むしろ失うものの連続かもしれない。
 原因が分かったので、力になれる確率は上がったが、果たしてその男性は僕にポロリと漏らしたような胸のうちをお医者さんにも漏らして聞いてもらったのだろうか。つまらないどうでもいいことを口に出せれるような薬局もほとんど消えた。洗練された若い薬剤師が応対する医院の前の薬局ばかりになったが、それらは、どうでもいい話を聞いてくれる薬局ではないだろう。
 僕は経営しなくても存続できる薬局を目指してきた。経済が目的なら無理に薬局でなくてもよい。健康や幸せから少しばかり取り残された人たちのお役に立てれたほうが喜びは大きい。ましてこれから僕自身が「健康や幸せから少しばかり取り残される人」になるのだから。