通行手形

 今日は怪我人が良く来た日だった。つい後回しになる事務仕事を片づけるために、1日中薬局にいなければならなかったからシャッターを開けて仕事をしていた。寒いから体が固くて怪我をしやすかったのか、逆に少し暖かくなりそうな気配だったから、活動的になってしまったのかどちらかだろうが、今思い出すと全員が旅行客だった。 僕より少し若い位なのに半ズボン姿で入ってきた。どこから来たのか知らないが、自転車で転んで膝をすりむいていた。自転車みたいな黙々とする運動が好きな人はえてして真面目な人が多い。バンドエイドを買いに入ってきたのだが「良く怪我をしてくれました」と言っても全く受けなかった。このギャグで笑わない人はあまり経験がない。 母娘で入ってきた二人は緊張した顔だった。犬に2箇所噛まれて、少し傷口が見えるが内出血のほうが痛々しい。消毒薬と湿布薬を出したが、何となく僕は飼い犬にやられたような気がしたから「飼い犬に噛まれたのではないの?」と尋ねてみた。すると大阪からやって来たというお母さんが「そうなんです、恥ずかしいけれど飼い犬なんです」と答えた。僕は「そう言う諺がありますね」と軽く言うと、その言葉が二人の緊張を解いてくれた。噛まれたお嬢さんも素敵な笑顔で礼を言いながら帰っていった。  お母さんがバンドエイドの大きなのを買いに来たが、手にしながら何か迷っていた。傷の様子を聞いて、特殊な大きな傷当てパットを紹介したら納得していた。なんでも男の子が堤防で転んで膝を広範囲にすりむいているらしい。日曜日なのに薬局が開いていて助かったと礼を言われたから「今日は誰かが堤防で転んで薬を取りに来そうだったから特別開けていた」と言ったら結構受けたが、お母さんが薬局から出ていくときに出た安堵の言葉の方が数段面白かった。「海に落ちなくて良かった」  畑帰りか、宅配便の下請けかというような小型の古いワンボックスカーが道路の向こう側の駐車場に止まった。遠慮気味に止めたから薬局の駐車場とは思わなかったらしい。降りてきた青年は顔から腕から足から出血していた。深く傷ついている感じはしなくて、やはりすりむいたところが圧倒的だったが、びっこをひいている。必要な薬を出そうと問診をしている間、震えている。よく聞くと、つい今し方「何か」があったらしくて、足の指が折れているのではないかと思うと言う。おまけにやたら出血する口の当たりをのぞき込むと「歯が折れた」と言う。この時点で僕の出来る範囲を超えていることが分かったから、以前息子が勤めていた総合病院に電話した。ただ歯科は休日はやっていなくて、岡山市の休日診療の当番医を教えて貰った。そちらに連絡すると午後3時までですとテープが流れるだけだった。しょうがないから歯科は諦めてせめて怪しい足だけでもしっかり診察させてやろうと、瀬戸内市民病院に電話した。すると運良く外科の先生がいて診てくれることになった。その手配をしている間に運転していた若者も薬局に入ってきた。なんでも鹿児島にあの小さな車で行っていたらしい。大阪に帰る前に何故か牛窓に寄ってみようと言うことになって寄ったのが運の尽きだった。20歳前後に見えるから、又貧相な車で13時間ぶっ通しで鹿児島まで運転したというから恐らく学生だろうが、生粋の大阪弁ではなかったから地方から大阪の大学に行っているのだろう。「良かったね、あの世に寄り道するところだったね」と言うと、どうやらまだまだ大阪人としては未熟で、ボケでは返してこなかった。ただ本ボケかと思うような大受けがその後にあった。病院まで車で先導してあげるという妻が自分の車に行こうとしたら「その前に牛窓を観光してもいいですか」だって。とどめを刺してやろうか。 こんな感じで毎日仕事をしている。知らぬ人は一体どんな薬局かと思うだろうがこのスタイルを変えるつもりはない。調剤もし、OTCも販売し、漢方薬を作るという今では化石みたいな薬局形態だが、このバランスがとても楽しい。医者の方だけ、経済の方だけ見ていればいいのなら、後の二つはやめた方がいいのかもしれないが、それでは面白くない。利用してくれる人と何の隠し事もなく心を交通できるのは後の二つなのだから。緊張を強いられてなんとか生きている現代人が、病気と真剣に向き合っても治るはずがない。まるで冗談のように向き合ってこそ 、交換神経は緩み血液は循環し傷は修復されると思う。 一つ忘れていた。歯を折って震えていた青年に妻が「救急車を呼ぼうか」と提案したら彼は拒否しなかった。むしろ「一度救急車に乗ってみたい気もします」と言った。あれは結構本心だったかもしれないが、僕が友人の車で行くように言った。もしあれが大阪人になる通行手形だったら、とどめを刺してやろうか。