善良

 ほんの1秒ずれていたらよかったのに。 号泣するお父さんの姿がニュースで映し出されていた。こんな所で耐えたらもっと悲しみが深くなる。自然の感情の通りに振る舞わざるを得ないお父さんの姿がそのまま悲しみの深さを表している。  どこかで犬が吠えてふと足を止めていたら、どこかで躓いて泣きべそをかいていたら、誰かに背中を押されてケンカになっていたら、恐らく亡くならずにすんでいただろう。逆にふと心配になって工事の人が綱でくくっていたら、亡くならずにすんだだろう。何をどの様に掛け合わせればそんな不幸に遭遇するのか分からないが、不幸は数学では測れない確率で襲ってくる。  善良の不幸ほど悲しいものはない。理不尽が増幅される。何の力によって守られるべきか、何にすがって守られるべきか、理屈や教理の前で立ちつくす。風の冷たさに襟を立てたなら、風の冷たさに手袋を取りだしたなら、いやせめて身震い一つしていたならば、号泣の父親と昨日までのように笑顔で机の前に腰掛けていたのに。善良に善良以外の結末を与えないで。