吉本隆明

 少しだけ涙ぐんでしまったが、それは偉大な老人の死を悼んでのことではなかった。彼の時代が終わったことが即、僕の時代も終わったことと同じであると直感的に感じたのだ。 30数年前、彼の名前を息子にもらった。僕も含めて誰かがそうするだろうと思っていたが、早い者勝ちで僕がそうした。薬科大学に入ったのに薬の勉強は苦手だったし、興味もなかった。早晩その道を諦めて、毎日パチンコに通った。授業のほとんどを出ていないような気がするのだが、どうして今薬剤師でおれるのかいくら記憶を呼び戻しても分からない。  怠惰の極みの6年間で、せめて何かまともなことはしていないのかと問われれば一つだけある。なぜだか分からないが、よく本を読んだ。眠る前には必ず読むし、真っ昼間の歓楽街に出かけるときも、必ず本を持っていた。そして場末の喫茶店の片隅でコーヒー1杯で何時間も粘った。薬学生なのに読んだ本は思想書ばかりだった。全くの素人だから読み進むにはほとんどの本が難解だったが、その難解さは憧れでもあった。難解さにうだつの上がらない青年は酔っていたのかもしれない。それでも毎日毎日活字を眺めていれば少しは分かってくるもので、当時手探りで築いた精神的な支柱は未だ微動だにしない。打算を必要としない当時の青臭さは、一生を保証する価値観を与えてくれた。 その価値観が正しいかどうかは別として、僕は生き方にぶれがないと思っている。潔癖な青年期に彼の本を懸命に読んだおかげだと思っている。難解だけれど新鮮だった。自分で納得できる、ものの見方を教わったような気がする。誰にも支配されない価値観を持ったような気がする。  僕ら凡人の何十倍も何百倍も濃密な人生を送ってきた人でも、やはり老いて消えていくものなのだと感慨深かった。いわんや僕ら凡人が人生を終えるなんて、枯葉一枚の景色にもなり得ないのだと無常観に襲われた。