惰性

 好きなものと、得意なものがなかったので、進むべき道は分からなかった。惰性で高校に通い、惰性で大学を受験し、惰性でパチンコ屋に通った。何も一生懸命やった記憶がない。恋人も友人も、努力をしなくて手に入ったから、その価値に気が付かなかった。パチンコ屋に入り浸っている僕を誰も責めはしなかった。現代の青年がゲームに浸っているのと何ら変わりない。部屋に閉じこもってゲームをやろうが、繁華街のアーケードをくぐり、騒音の中でバネを弾こうが、所詮孤独なのだ。両者に際だった差はない。何とかその日を食いつぶしているのだ。永遠に続いてしまいそうな時間から逃げているのだ。時間は目覚めると毎日洪水のように襲ってきた。  僕の青春時代を表す最も適している言葉は「空虚」だ。金がなかったから財布も胃袋も空虚だったが、肝心の脳みその中も立派に空っぽだった。青春に失望している青春まっただ中の人、青春とは裏切られるものなのだ。期待してはいけない。華やかなのはほんの一部の人達だけで、そのほかのごく普通の人間にとっては、苦悩の時期だ。得るものはその日の飯代とアパート代、失うものは希望と夢とプライド。  5年間、パチンコに通いつめたおかげで善人にもなれなかったし、名うての悪人にもなれなかった。かろうじて凡人を維持できた。うまい話に利く鼻も持てなかったし、うまい汁を吸う口も持てなかった。人に尊敬されもせず、蔑まれることもない、丁度いい普通にみんな行き着く。青春を気張って生きることはない。みんなが普通に向かっていずれ収束するのだから。  普通でない人の運動会が明日で終わる。100メートルを駆け抜けるために、練習で地球を一周するほど走ったのかもしれない。僕らは、100メートルを駆け抜けるために100メートルしか走らない。僕らの青春が輝かないのは当たり前だ。悔いも残らないくらいの圧倒的なこの差こそ、居心地の良い普通なのだ。