最強

 なんだ、僕はオタクの始まりだったのかと、朝のニュースを見ていて思った。単なる落ちこぼれと思っていたけれど、今で言うゲームオタクだったのだ。  浪人時代を含めて6年間、試験中を除いてパチンコに行かなかった日はない。多い日では8時間くらいはしていただろう。少ない日でも数時間。これは、朝のニュースで携帯電話でするゲームの時間を尋ねていたが、その答えとほとんど同じなのだ。ずらりと並んだ台に向かっていても一人の世界に入り込んでいた。携帯電話に向かったり、部屋でパソコンに向かったり、ゲーム機に向かったりしているのと何ら心理状態は変わらないと思う。ただひたすらパチンコの玉を目で追っている姿は、ゲーム中の人と同じだ。のめりこみようは半端ではなかった。ただ時代が違っただけで、素質は同じなのだと思う。  幸運にも牛窓にはパチンコ屋がなかったので、帰ってからは一度もしたことがない。近くにあったらひょとしたら、家も土地も手放していたかもしれない。もっとも、大学時代一生分遊んだから、もう手持ちぶたさには閉口しきっていた。何もすることがないくらいつらいことはないと悟っていた。その後パチンコほどのめり込むものに巡り会わなかった。 つい最近のノーベル賞受賞者達を見ていて、最高、最強のオタクだなと感心した。僕ら凡オタクと違うのは、のめり込むテーマが崇高なことだけだ。のめり込みようはそれほど差はない。猛者なら、24時間でもゲームをすることが出来るのではないか。彼らは数式や化学式の中にのめり込んだ。僕らは誰かが作ってくれたものにのめり込んだ。  僕がゲームをする人に寛容なのは、自分がそうだったからだ。お金が絡んでない分今の人の方が余程健全だ。肉体的には一番良い状態だった青春期、あの体力と時間をなにか生産的なことに費やしていたら、もう少し違った人生があったかもしれない。こんな殊勝なことが言えるのは、のめり込める体力も気力もなくなった今だからこそなのだが。