写真

 元々はクールな美人だと思うのだが、長い間笑顔を忘れていた。今日、4年遅れの成人式の写真を見せてくれた。何枚も見せてくれたが、素人がまるでモデルのような表情や仕草で写っていることにまず驚いた。綺麗に装丁すれば着物の雑誌に載っても違和感はない。もっとも、プロが全部コーディネートしてくれたらしいからそのレベルのことまで出来るのだろう。全く縁がない世界だから、ただただ感心して見せてもらった。  僕はこの1年親しく接しているので、彼女のトラブルを深刻には受け取っていないが、彼女自身や家族にとっては長くてつらい時間が数年間続いているのだろう。その写真に込める思いを「笑顔が出来るくらいに改善したことの記念碑」みたいな表現を使って表した。写真を撮られるときには、その思いや支えてくれた家族への感謝の気持ちをこめてカメラに収まったと言っていた。  写真の中の一つづつの表情、特に笑顔にはそんな感情が隠されているのだ。だから見ている僕は完治したのかと錯覚してしまうほどなのだ。話していて何ら違和感は無いのに、本人の病識はなかなか覆されない。誰もが陥っている大いなる錯覚、治す方も治される方も薬が治すってことからなかなか離れられない。(僕は離れている。今日も、昨日もその前も、新しい人と会ったり、情報をやりとりしたが、みんなすこぶる健康的な悩みで苦しんでいる。正常だから陥るトラブルでしかない。そこを経ずして大人になる方が余程心細い。正当な挫折は経験すべきだ。そしてまるで冗談のように真面目に克服すればいい )  被写体になるのが今でも照れくさくて苦手な僕からしたら、堂々とモデルになりきっている彼女の方が余程「元気」だ。ただ色白でスリムで冷え性。もっともエネルギーに欠け長生きだけが取り柄の特徴を持っているってことだけなのだ。誰でも、長所は臆病で短所は図々しいものだ。だから誰もその図々しいヤツに負ける。