ジーパン

 いつからジーパンが日本に入ってきて、普及したのか分からないが、僕がはき出したのは大学に入ってからだ。今から思えば高校を卒業して浪人時代は何をはいていたのだろうと思うが、いわゆる綿のズボンをはいていたのだろうか。学生ズボンからジーパンの1年間が記憶にない。  ジーパンになって一番嬉しかったことは、汚れが見えないから洗濯する必要がない。(ジーパンも洗わなければならないことを知ったのは結婚してからだ)二番目は、折り目が必要ないから脱いだままにしておけばいい、と言うより、五年間は毎晩ジーパンで寝た。当初、アパートにパジャマは持っていったと思うが、はいた記憶はない。三番目は破れてもすり減ってもそれが一つのファッションになったから、とことん最後まで使えた。恐らく五年間でそんなに買ってはいないだろう。お金がなかったから、限界まではいていたと思う。  こうしてみると、以来30年間何も変わっていない。ジーパンは僕にとっては仕事着だし、外出着なのだ。余程の改まった会議と、冠婚葬祭以外はこのスタイルで通している。さすがに寝るときには脱いでいるがそれ以外は当時と全く変わっていない。良くもこんなに倹約できるものを普及してくれたものと感謝する。お金だけではなく、煩わしさからの解放は、僕には有り難い。  同じような人はいるもので、もう秋風も吹いているというのに、素足にサンダル、よれよれのTシャツにすり減ったジーパン。化粧もしないすっぴんで、白髪も目立つ。薬局のコーヒーをこよなく愛してくれ、少しだけおしゃべりをして漢方薬を持って帰る。恐らく同じ時代を過ごし、よく似た価値観で、社会をすねた目で見ていた同類だろう。昔のことはお互い話さないが、何となくにおいで分かる。ジーパンの裾を引きずりだらしなく糸が垂れるように、嘗てを引きずって悠々と生きている。接点が薬では寂しいが、隠しておいた方がいつまでも新鮮だ。どっちみち披露するような過去はお互い持ち合わせてはいないだろうけど。  今はいているジーパンは、いつ誰にもらったものか分からない。ぴったしだから不思議だ。息子や甥達は身長が180cmから190cmばかりだし、いとこの子はちょっと太り気味なのだが。その中の誰かが高校生の時はいていたお古をくれたのだろうか。まだどこも傷んでいないように見える。このままではジーパンよりも僕の心の方が先にすり減ってしまいそうだ。