靴下

 偶然が重なればこんなことも起こる。その偶然も又楽しい。 白色の靴下と黒色の靴下が一つずつしかなかったが、面倒だからそれをはいた。どうせ僕のズボンは長いし、サンダルはつま先が大きく隠れるようなものだから、誰にも気づかれるはずがない。勿論気づかれても恥ずかしいとは思わないので、そもそもどうでもいいことだ。朝それに気がついた妻が白色のをもう一つ出してくれたが、僕は一度履いたものを履き替えるような面倒なことはしない。だからそのまま仕事をしていた。 夕方薬局の電灯が2本切れて点滅を始めた。すぐに妻が買ってきて、僕がテーブルの上に上がって替えた。勿論テーブルの上だからスリッパは脱いでいる。少し薄暗くなってきたので急いで蛍光灯を替えていたら、ある方が入ってきた。向こうは見上げ、僕は見下ろす格好で用件を聞いた。「蛍光灯が切れたんですか?」と挨拶もしてくれたのだが、蛍光灯よりも寧ろ僕の足許の方が気になるらしく、一瞬視線が僕の足許で止まった。恐らく何か違和感があって自然に目がいったのだろう。  そんな僕の格好を見てその方が「例の舌が痛かったのがほとんど良くなったから、もう一度だけ漢方薬を貰ってきてと嫁さんに頼まれました」と言った。奥さんの舌が数年原因もなく痛んでいたのだが、僕の漢方薬を3ヶ月くらい飲んでほぼ治った。舌痛症は結構難しくて病院も手こずるのだが、それを治した薬剤師が、靴下を白と黒のを片方ずつバラバラに履いていては、興ざめだろう。効く薬も効かなくなる。ただその男性は勇気があるのか寛容なのか、いつもどおり奥さんのお使いを完遂して機嫌良く帰っていった。もしこんな光景を都市部で披露したら薬局はどうなるのだろう。演技は一切しない、ありにままの応対でことが進んでいく、僕にとっての当たり前の光景が保証されるのだろうか。 つくづく田舎の薬局でよかった。