足(たる)

 30年間、卒業していく園児の似顔絵を描き続けている副園長の話題を朝のニュース番組で見た。幼い子供達がかしこまって似顔絵を描いて貰う姿はなんとも言えず可愛いものがあった。副園長が「愛おしい」という言葉を使ったのは頷ける。 年齢を重ねた人間の特権かもしれないが「愛おしい」という言葉を抵抗なく使えるように僕もなった。副園長は僕より年上に見えたから、同じような言葉を使うものだと親近感を持ってそのニュースを最後まで見た。 実は昨夜、メールをやりとりした子も僕にとっては愛おしい子なのだ。忘れもしない、制服のままお昼頃ふらっとやってきた。電車とバスを乗り継いでやって来たのだ。その時間帯に見ず知らずの制服姿の子が一人でやって来るのだから、もうそれだけで悩みは分かった。過敏性腸症候群で中学高校とまともに行けなかった子なのだが、そこから二人三脚が始まって、結局大学にも何とか行けて、就職も何とか出来て、仕事についてからも何とか止めなくてすんで、そして音沙汰が途絶えた。僕らの願いの過敏性腸症候群からの卒業なのだ。 「自分でもよくやってるなーって思います!二年前の自分からは想像つかないですし、仕事して間違いなく全て良い方向に変われてる気がして楽しい自分もいるのです☆緊張感いいですよね!人生にメリハリが出来る気がします☆」 嘗て学校に行けなかった子が、音楽大学で声楽を学び、路上ライブもこなした。就職してからも弱音を一杯吐いてきたが、結局止めたのは彼女ではなく強そうに見えた同僚だった。そして昨日のメールでは、その若さで支店長になったというメールだった。勿論戸惑いの方が大きくて僕にメールしてきたのだが、僕のメールに対して上記の内容を返してきた。 僕は初めて会ったときから分かっていた。自分では孤立無援の状態のように思っていたのだろうが、きっと多くの人に愛される人だと。何故なら彼女は決して人を傷つけるようなタイプではないし、決して揚げ足をとるようなタイプではなかった。いわゆる素直なよい子だった。そんな人が誰に嫌われるだろう。案の定、男性優位の職場だが、彼女は2年の間にかなりの評価を得たのだと思う。「貴女が支店長になるくらいだったら余程人材不足か、貴女に能力があるのだろう」と返信したら、勿論前者だと返してきたが、僕には後者だとハッキリ分かる。  今、僕の過敏性腸症候群漢方薬を飲んでくれている多くの若者に、彼女の不安を乗り越えて過ごした数年間を捧げたい。過敏性腸症候群になったこと自体が、決してマイナス要因ではないのだ。成人して社会に出た暁には、その繊細さや他人を傷つけない穏やかさこそが売りになることは十分考えられる。貪欲に生きる人が心地よかった時代はもうすでに終わっている。これからは「足」を知る人達の時代で、多くを求めない人達が時代を救うだろう。