コーヒーと煙草があれば何とか精神は安定していた。それに音楽でも加われば、ちょっとリッチな感覚にもなった。バイトで稼いだわずかの金は、コーヒーと煙草とパチンコ代に回り、食費には回らなかった。唯一倹約できるのが食費で、健康は損ねるものだった。文庫本を乱読し、都合の良い言葉を拾い出し、都合の良い生活の言い訳に使っていた。他人に迷惑はかけなかったが、自虐的だった。独りで生きるのは気が楽だった。失うものが少ないのは気が楽だった。 家族を持てばそれが逆転する。失ってはならないものばかりが増えてくる。健康が欲しくなった。煙草も20年前に止めた。今思えばよく止めれたと思うが、中毒から脱出するときの精神的な不安定さも寿命を少しでも回復できるなら耐えられるものだった。もっとも、決意してから数年の歳月と、言うのがはばかれるくらいの、情けない行動の積み重ねを経てのことだが。 せっかく挽回した健康も、加齢と共に少しずつはがれ落ちていく。毎日が未知なる領域で驚きの体験が待っている。肉体を精神でカバーできたらと思うが、日々の仕事に追われすり切れることはあっても、養えることはない。天に宝を積むどころか、今だ地に宝を求めている。このままどこに行くのか分からない。目的を持ってもいない。なるようになるようになるようになる。そうか、結局どうにもならないのだ。ちょっとだけ他人様の役に立ち、流れる雲のように消えていくのだ。