唄う歯医者さん

 薬を出して会計もすんでから「ブログを楽しみに読ませてもらっています」と、僕と同年輩の女性が言った。僕の秘密のブログが薬局内で話題に登ることは、1人の女性を除いてはない。その人は20年くらい不思議な関係を保っている単なるお客さんなのだが、単なるも20年も続けば単なるでなくなって、良き僕の理解者でもある。それが僕の勘違いかもしれないが、恐らく初対面の女性に唐突に言われたので、ブログという単語さえ一瞬理解できなかった。その女性は、不思議な間を感じたかもしれないが、その間の理由はこうなのだ。「読まないでください」ととっさに言ったのは、単なる照れではなく本心なのだ。  今朝、僕の患者さん以外で、2人の男性からメールが入っていた。1人はフィリピンで大学に通っている僕の甥。もう1人は岐阜の「唄う歯医者さん」。実は僕の秘密のブログが段々秘密でなくなってきた事を心配している。唄う歯医者さんから「唄わせたお医者さん」にも連絡が入り、唄わせたお医者さんも診察の合間に読んでいるという。これで後1人だけ高山にいる「今でも唄っている薬剤師崩れ」に連絡が行ったら最悪だ。その人と唄わせたお医者さんが圧倒的に僕の青春に影響を与えた人で、当時の僕の全てを知っているし、今でも手に取るように僕を容易に読める二人だからだ。  ブログの唯一の目的は、嘗ても現在も、青春の落とし穴に落ちてもがいている人達に、同じ穴に落ちた人間として、漢方薬を通してはい上がるお手伝いをすることなのだ。その為にはどんな人間がどんな考えで薬を作っているか知ってもらう必要があった。僕が大都会のカリスマ薬局ならそんな必要はないのかもしれないが、人口7000人の過疎の町にある薬局だから、薬を注文するのはかなり勇気がいるだろう。不安を少しでも払拭し治るチャンスを失って欲しくなかったから、延々と自己紹介をしているのだ。  僕の言葉は、学校に行きたくてもいけない子、就職したくても出来ない人、人が傍に来るだけで身構えてしまう人、人に背中を見せれない人、人前でしゃべれない人、恋人も結婚も出来ないと諦めている人、誰一人本心をうち明ける相手がいない人、美容院の椅子に腰掛ける勇気もない人、バスにも電車にも乗れない人、友人とさえ食事を共にできない人に届いて欲しいのだ。自意識という一度自分に刃が向き出すと何ともコントロールできない青春の落とし穴に落ちた人達に届いて欲しいのだ。本来、知的にも肉体的にも生産活動に向かうはずの力を、自分を傷つけ束縛するものに変換させている人達に届けたいのだ。今日も孤独な自己との戦いを終えた人達に届けたいのだ。  読者の中に、実際に尋ねてきてくれた人達、又僕を知っている人達が増えるに従って僕は言葉を失う。福山雅治に似ているとはもう言えないだろう。背後に迫る丘を富士山とも言えないし、目の前に広がる鏡のような海を太平洋とも言えない。でも、僕が届けたい人に送る言葉は、臆病な風のささやき。路地裏をやっとの事で通り抜ける許し許される不器用な風。