僕が初めて鍼治療をしてもらったのは、牛窓に帰って間もない頃だと思う。兄の友人が岡山市で開業していた。2才違いなので、こちらも若かったがあちらも若かった。腕が良かったのだろうか、背中に鉛を打ち込まれているような鈍痛が1回の治療で奇跡のように消えた。その後痛みのトラブルになるとまずその先生を頼り、その都度治った。その頃から僕も漢方薬を勉強し始めて、頼ることは次第に少なくなったが、鍼治療の魅力は今も変わらない。ほとほと困ったときの緊急避難場所だ。ところが困ったことに、年齢と共に先生も腕を上げているはずなのに、あの若かった頃のようには効かない。奇跡的に効いていたのがじっくりとしか効かなくなった。その理由は至って簡単だ。僕の肉体が数段衰えているのだ。自然治癒力に溢れていたあの頃のように肉体が一瞬にして復活するのは期待出来ない。まあ、ゆっくりでも何とか元に戻れば幸運と思わなければならないだろう。 今度の日曜日、鍼の先生が5人ほど牛窓に来る。真面目な患者の僕としてはこの上ない喜びなのだが、不運にも法事と重なって、鍼治療のはしごが出来ないらしい。出来れば全員の先生に鍼をうってもらって、それぞれの技術を体験したかったのだが。無料体験会の後、牛窓で打ち上げをするらしいからそれには根性で間に合わせる。この体験会を牛窓でやるように企画した鍼の先生とは、僕が30代の頃、牛窓に流れてきて一緒によく遊んだ。歌が好きでよく唄っていたが、牛窓を出て何年後かに再会した時には、それこそ「唄う鍼灸師」になっていた。僕の回りには、唄で食っていける人間は一人もいないが、それこそいつまでも唄から逃れられない青春の後遺症みたいな人が多い。どうもこの後遺症には自分の鍼は効かないようで、つい最近も僕にギターの弦をくれたりする。後遺症仲間に引きずり込みたいみたいだが、そんなことされなくても僕には立派な現役の頸椎ヘルニアがある。 30年間、職業柄多くの人と会話した。勿論薬局に来てくれる人だから、どこか不調を抱えている。田舎の薬局だから、特別な人などいない。経済も肩書きもほとんどの人が普通で、それぞれの小さな人生を歩んでいる。しかし、小さくても深さにおいては誰にも負けていないと言うことに僕は気が付いた。決して大きな事は出来ないが、喜びも悲しみも小説や唄で表現されるものに負けない深さがあることに気が付いた。壮大な背景など持たず、登場人物も貧弱だ。それでもなお、心を打たれる人生をそれぞれが歩んでいる。まるで、素人役者が観客のいない舞台で黙々と演技を続けているように見える。 僕が後遺症から抜け出れたのはこういった事情からかも知れない。それにしても新しい弦はさすがにいい音がした。ギブソンだったか、マーチンだったか。