子供

 昨日の毎日新聞修道院の記事が1面を使って出ていた。珍しいことだから記事を全て読んだ。その中で印象深い言葉があった。あるシスターの言葉だが、自分の子供を育てたいと思ったことはあるが、たくさんの子供を育てなさいという神様の声を聞いたというのだ。カトリックでは神父もシスターも結婚しない。だからシスターの道を歩み始めるということはわが子をもてないということだ。僕ら凡人にしたら結婚適齢期の頃にそうした判断が出来るのかと不思議に見えるが、やはり修道院の門をくぐる人は、崇高な決意を持っているものらしい。  ただ、この年齢になって僕はシスターが言った言葉がすごく分かる。もう延べにしたらどのくらいのかの国の青年と付き合っているか分からないが、わが子にも負けないくらいの力を注いでいる。彼ら彼女達の、母国での生活ぶりがだんだん分かるにしたがって、僕の気持ちは強くなっている。シスターのように崇高な気持ちはないが、それでも凡人でも似たような心境になり、同じようなことは出来るものだと思った。  赤ちゃんの頃の大変さは僕には無理だが、成人した人の世話なら出来る。愛情の余力はないから無償の愛とは行かないが、培った経験や思考する能力を生かすことは出来る。物質的な発達に目を奪われ、日本人と同じように消費しても許されると錯覚し、転落していく青年を1人でも救いたい。物ではなく、一杯のお喋りや、文化で日本滞在中の3年間を濃密にしてあげたい。  「オトウサン イツマデモワスレナイ」と言ってくれるが、僕は最近こう答えることにしている。「空港についたら僕のことは忘れて」と。僕が出来ることは、目の前にいる若者を3年間見守ることだけだから。