青年

 ふと昨夜この言葉が頭に浮かんだ。僕はその言葉がにじみ出る姿に感動し、微力ながら仕事以外の部分で役に立とうとしていたのだと分かった。それまでの、何が僕を突き動かしているのだろうという疑問が解けたような気がした。  昨日、教会でのパーティーの後、新たなかの国の青年を二人母の施設に連れて行った。毎日曜日の恒例行事を欠かしたくないことと、日本の現状を知ってもらえることのニ兎を追って、できる限りこのコースを欠かさない。  まず施設の中に一緒に入り、大きな広間に沢山並べられたテーブルに分散し、車椅子上で身動きしない老人達の姿を見てもらう。居眠りをしている老人も多いが、しっかりと目を開けて虚空を見続けている老人も多い。動きがある老人に限って奇声を発し続けている。ほとんどの青年達はショックを隠せないみたいだが、僕の母だと分かると丁寧に挨拶をしてくれる。母はつじつまの合わない言葉を、それでも微笑みながら返す。その後僕は基本的には母を外に連れ出す。昨日もそんなに風が強くなかったので、外に連れ出すと、彼女達が僕が持って行っていたスポーツ用のガウンで母をくるみ、車椅子を押してくれた。既に面識がある他の二人の青年は母にしきりにたどたどしい日本語で話しかけてくれる。そのうち新しい青年が僕の耳元で「オトウサン オバアチャン ツレテカエル カワイソウ」と言った。その言葉は既に面識がある二人が、1ヶ月前に母と再会した時に言ってくれた言葉だ。同じ言葉をかけてくれた。彼女は1時間近い散歩の間、何度も僕に同じ言葉をささやいた。そう言えば面識がある二人が前の晩に電話をしてきて「パーティーノアト、オバアチャン イキタイ」と言ってくれたのだ。  僕はこの4人を含めて現在30人くらいと交流があるが、ほとんど全員が良く働き、よく倹約し、常に明るく振舞い老人や幼い子供たちを気にかけ世話をする。深夜労働をこなし、1日500円で暮らし、それでいてすこぶる明るい。「オトウサン ゲンキ ダイジョウブ」が決まり文句の青年達の全ての日常を「けなげ」が包み込んでいることに昨夜気がついた。