方程式

 東日本から牛窓に移住しようとする人はまだまだいるみたいで、牛窓の人も何とか空き家を見つけようと奔走している。親切だなあとつくづく思う。  昨日、一昨年から僕の両親の家に住んでもらっている夫婦が、洋菓子を持ってきてくれたのだが、その時の話の中でなるほどと感心したことがあるので披露する。  僕ら土着の人間は、空き家が目立つ故郷を痛々しく思っている。だから移住してこようとしている人を知ったら多くの人が一所懸命になる。素人が人脈を駆使して情報を集め、持ち主に貸す意思があるかどうか確かめる。都会では恐らく不動産屋さんが間に入るのだろうが、牛窓ではほとんどそんなケースはない。多くは町民の善意で、なんとなく貸借が成立する。事務的に物事が進むのではなく、人情が往復して結論に至る。匙屋さんの奥さんが「それだから牛窓の風情が守られている」と言った。従来なら不動産屋さんの介入がない分、物件が動かずに、ますます牛窓が廃れるとマイナスに考えていたことが、実は長所だと奥さんが言ったのだ。この考え方は僕にはとても新鮮だった。やはり華の都大東京を逃げてきた人達だけある。  20代で牛窓に帰ってきて、薬局を継いで生計を立てることにハンディーを当時感じていたが、今は全くそれはない。欲しいものはほとんどクロネコヤマトが確実に翌日には運んできてくれるし、逆に僕の漢方薬の患者さんも全国にいる。同じ町内に暮らす人と、ほとんど遜色ないくらい治す事も出来る。そして牛窓に留まって仕事を続けた事の最大のメリットは、自分の気持ちに正直にあり続けることが出来たことだろう。生活の糧を得るためにいやな人との無理やりな関係を築く必要もなかったし、誇大な広告を打つ必要もなかった。全てが自然だった。  失くそうとしても失くせなかったものに、壊そうとしても壊せなかったものに、都会から来た人達が惹かれ、その価値を再認識する。時代は既に方程式を失っている。