丸亀城

 昨夜パソコンが故障していたので半日遅れです

 僕は、無知から丸亀城を誤解していた。インターネットで調べた情報で、単に小さな天守閣が残っている城と言う印象しかなかった。だから丸亀で和太鼓の大会があることが分かって、どうして時間をつぶそうかと迷った挙句が、緊急避難用の丸亀城だったのだ。  ところが会場の丸亀市民会館に着いて、丁度市民会館の通りから正面にそびえる城を見つけたときには、一緒に行ったかの国の青年達が歓声を上げた。僕も意表をつかれた感じだった。青年期毎日のように目にしていた岐阜城にはかなわないが、僕が目にしてきた他の多くの城とは趣を異にしていた。なぜならほとんど市街地にありながら、まるで山城のようにそびえているのだ。大きな門をくぐって、さてこれから天守閣まで上って行かなければならないと思った瞬間、その高さを恨めしく思ったくらいだ。案の定、僕だけではなくかの国の青年ですら、息を切らし始めた。地元の人だろう、一直線に上るのではなく。登り道を左右の道端を結ぶように斜め上、斜め上と上っている人もいた。ただ僕らの努力の報酬は大きくて、途中も天守閣があるところも、丸亀の街を360度見下ろせ、瀬戸大橋をはじめ、瀬戸内の工業地帯も、港も、手にとるように見えた。  例によって写真を取り捲るかの国の青年ですら、景色を愛でる言葉を連発していた。まだ太鼓のコンサートを聴いてもいないのに「オトウサン キョウ タノシイ アリガトウ」と礼を言われた。でもやはり礼を言わなければならないのはこちらなのだ。日曜日に重い腰を上げてこうして遠くまで来てみようと思わせるのは、唯一かの国の青年達の存在なのだ。彼女達のおかげで初めて龍神太鼓の実力を知ることが出来たし、市民会館の中にあるたも屋といううどんのお店のスタッフの方々と心温まる交流もあったし、坂出の駅で愛媛から岡山に行くと言う二重に腰の曲がった耳の聞こえない老婆とハイタッチもした。恐らく以前の僕の日常の過ごし方では登場しない光景だ。やっと今になって、少しは心に余裕のある暮らし方が出来るようになったのかと、感謝している。