応援歌

 倉敷であった和太鼓のコンサートから帰ったのが8時前だったのに、今10時過ぎまで2時間半、かの国の子の寮にいたことになる。そのことを特別許してくれている工場の責任者に感謝したいが、今夜の長居は結構深刻な内容だった。  僕がかの国で薬局を開けば、あっという間に財を築きそうな今夜の状況だった。と言うのが、赤坂寮の女性の慢性副鼻腔炎、これは嗅覚を失う寸前だったが、これを漢方薬で治したのと、牛窓工場の子のお父さんの血圧の薬がとてもよく効いたことが評判になり、今夜かの国とスカイプで交信しながら10数人の健康相談を行った。痛みの病気が一番多く、慢性副鼻腔炎の病気も多かった。皮膚病も多かったかな。いずれも患者が僕の薬局に半月、いや1ヶ月に一度でも通ってきてくれればかなりよい結果をもたらすことが出来るのにと歯がゆくて仕方なかった。しかし言葉が通じないが、勿論通訳を入れながらだが、感性を済ませば、症状の羅列から病名に行き着ける。関節が痛いが、多くはヘルニアだろうし、目の上下4箇所が痛いは、蓄膿症だ。要するに栄養が少し足らない食生活の人間が、機械の代わりによく働いている、多くはこうした環境によって作り出された病気だ。何十年前の日本とまるで同じだ。  今は日本で最低賃金並みの給料を稼いでいるが、本国に帰ればまた1日500円の稼ぎに戻る。また僕が作るだろう薬は現在かの国で暮らす人が飲む。慢性疾患ばかりだからある程度覚悟を決めて飲んでもらわないといけない。かの国の人が薬に費やせるお金がどのくらいなのか分からないが、かの国の人のプライドを崩さずに、僕の経済が持つような値段設定をしている。  50年前の日本の医療レベルの国で暮らす人達に、縁ある子達を介して役に立てることが、嬉しい。家族思いの子達が、僕が漢方薬を作ることができると答えるとほっとする瞬間に見せる笑顔は、何にも変えがたい僕への応援歌だ。