船虫

 海岸からの距離はかなりあるが、入り江からと言うとそんなに遠くはない。だから時々薬局までフナムシが到達することがある。よくも途中で天敵に襲われずにたどり着いたものだと思うが、その甲斐もなく追い払われて、再び海の方に戻っていく。何ら人間に不都合はないが、その姿形から陸に住む足の多い虫たちを想像してしまうから、ついつい追い返してしまう。ただフナムシは幼い時から当たり前のように見ていた虫だから気持ち悪くもないし恐ろしくもない。都会の人が初めて見たら、ムカデやゴキブリと同類項のように見えて気持ち悪がるかもしれないが。  数年前まで海苔の養殖を続けていた漁師さんが薬を取りに来た。来たら雑談をするのが昔からの習慣だ。昔の大漁や今の不漁など、一線を退いた人間の特権で、まるで評論家のような話をする。ただ60年以上も海の上で生きてきた人だから僕ら陸のものには分からないような話題が豊富で蘊蓄に富んだ内容も多い。日焼けした顔に意外としわが少ない。養殖漁業を長年していたから経済的には恵まれていたのだろう。顔のふくよかさがそれを表している。もう船を手放したのと尋ねると、「半分売った」と答えたから当然「2隻も持っていたの?」と重ねて尋ねた。すると当然その質問に行き着くだろうと言うような満足げな顔をして「4隻持っといた」と答えた。「4隻も持っていたの?」と驚く僕はなんの粉飾もいない根っからのものだ。「ご主人凄いではないの、船主じゃないの」と大きな声をだした。すると急にその方の顔色が変わったと思うとこれ又大声で「フナムシじゃねえわ」  なんだ、楽しそうに話していたのにこれが本当の虫の居所が悪かった・・・なのだろう。