哀愁

 どう見ても30歳代にしか見えないのに、一瞬親の顔が浮かんで「もう40歳になったのかなあ」と言ってしまった。「いやまだまだ」と笑いながら答えてくれたから後を引かなかったが、失礼なことを言った。十分若くて魅力があることをちゃんと僕も認めているから、僕自身も意外と後を引かなかった。お嬢さんよりお母さんが少し老けて見えたのかな。 この導入部分は単なるエピソードだが、その後の会話で彼女が「なかなか上手くは生きられない」と言った。どんな流れでそんな言葉が飛び出してきたのか忘れたが、若い彼女の口から、又心地よい笑顔を見せる彼女から出てきたことで、殊更印象深く聞こえた。さすがに何不自由なく暮らしているようには見えないが、年齢からしたらまだまだ上昇気流に乗っている世代だ。まだまだやりたいこともあるだろうし、それが現在なくてもいつか見つかるだろうし、逆にすでにやり遂げたこともあるかもしれない。それなのに何故あんなに哀愁を帯びた言葉が出たのだろう。彼女について僕は勿論何も知らない。時折、それこそもっと若いときから信頼して色々なトラブルを相談に来てくれるだけの関係だ。笑顔が似合うが、哀愁も又似合うと思った。  上手に生きることとは彼女にとってはなにだったのだろう。何を持って生きてきた道程を否定の形で表現したのだろう。青春期にセンチメンタルで出る言葉には似ていない。明らかにある判断を持って口から出た言葉だ。個人の心の中に侵入する失礼を敢えて冒すつもりはないが、世代的には中心になりつつある人達が、ひょっとしたら共有している心模様ではないかと思ったのだ。就職氷河期とか超氷河期とか言われる世代なのだろうか。生活の基盤を保証されずに、使い捨てのように扱われる世代なのだろうか。状況も心も漂流を余儀なくされている世代なのだろうか。上手く生きられない人達が、上手く生きる人達を支える屈辱を強いられている世代なのだろうか。反撃する気概を鍛えられずに、従順だけを生き延びる術として植え付けられた世代なのだろうか。  若い世代にあんな言葉を吐かせる時代が恨めしい。多くを手にする老人達がより多くを求めるから、若い世代に分配されない。放射能だけばらまかれて何もいい目もせずに、寿命まで縮められたらかなわない。自らを守るために気概を持って、金で正義を買ってきた老人達から持てるものを奪い取ることを望む。