年金

 海女ちゃんが始まってすぐに電話がかかってきた。風邪をひいて熱が出たのだが、1週間以上になるのに熱は下がらないし、体中が痛いという。大きな病院にかかっているがまだ改善しないらしい。風邪薬を作って下さいという言葉の後に「代金は、年金を来月15日にもらってからでいいですか?」と付け加えられた。僕は即座に「いつでも良いよ」とまるで反射のように返したが、電話の主が分かるから辛かった。  僕よりは随分若いと思うが、それでももう四捨五入すればひょっとしたら50歳の方に入るのかもしれない。良く僕の薬局を利用してくれていたお父さんが数年前亡くなり、その後お母さんも体調を崩され、彼女がお世話しているはずだ。いつも伏し目がちで、遠慮ばかりしているが、経済的に余裕がないとは想像できなかった。そこまでしなくてもと思うくらい頭を下げ、まるで人目をはばかるように出ていく。  今日も辛い体で良く来れたと思うのだが、自分がしんどくても誰にも頼むことが出来ないのだろう。僕は彼女が笑ったのを見たことがない。僕の薬局は結構笑い声がする薬局なのだが、彼女に笑って貰ったことがない。幸せですかと尋ねるのもはばかれるくらい、いつも表情は暗い。何か楽しいことが彼女の身に起こってくれればと、他人ながら思う。幸せがいつも素通りしてきたのではないかと、年齢より明らかに老け込んだ後ろ姿が物語っている。  恐らくこの国には一杯、彼女と同じように、重荷を背負って、それもやっとの事で立ち上がることが出来る程度の力しか残っていない人達が一杯いるだろう。誰も責めず、文句の一つも言わず、耐えて耐えて耐え抜いて静かに去っていく人達が一杯いるだろう。その逆の大罪人ばかりが我が世の春をむさぼる映像ばかり見せられと、やり場のない怒りで心が震える。