和解

 こう言うのを和解というのだろうか。ただ母はかなり脳の働きが落ちているから、一方的な、僕にとってだけの和解なのかもしれない。  妻が一緒だったから気負うことなく施設の門をくぐり、母の目の前に立った。母は僕を分かったのだろう自然な笑顔で迎えてくれた。かつてアリセプトを飲ませて急に凶暴になったあの消してしまいたい日々以前の笑顔だった。ただ僕を○○ちゃんと、従姉妹の名前で呼んだ。そのことがかえって僕を安心させ、嘗ての親子関係に一瞬に戻れたと思う。  母の好物の天満屋で売っている御座候を二つ持っていってあげた。施設の決まりで、目の前で差し入れは食べて貰い、残りは持って帰るというのを以前教えて貰っていたから、敢えて二つにした。母はとても喜びすぐにでも食べたがっていたが、同じテーブルの4人に気兼ねしてなかなか食べようとはしなかった。妻が促すと、もう一つの御座候を切って他の4人にふるまうように妻に言った。その気配りこそ嘗ての母の姿そのものだったのだが、そうしたことがまだ出来るのだと嬉しかった。と同時に、早く施設に入れすぎたのだろうかと、申し訳ない気持ちも蘇った。 母の口から友達が出来たと聞いた。実際親しく話しかけてくれる人が数人いた。その人達は何故ここに入っているのだろうと言うくらい健常に近かったが、各々が理由があって入居しているのだろう。その人達に母は結構人気があるみたいで、僕ら夫婦が連れて帰ると勘違いした一人が、えらく寂しがって又帰ってきてくださいと母の手を握っていた。姥捨ての呪文にずっと縛られていたが、家にいたときと今とどちらが母にとって心が安らかなのだろうと考えざるを得なかった。ただ家にいるだけで、家族が親しく話しかけれる時間は少なかった。今は施設の若い働き手も含めて沢山の人と会話は出来る。1時間くらい話していると母が「もう帰ってもいいよ」と言った。恐らくそれが母の答えなのだろう。家族も家庭も施設や施設の人達に負けているのだ。愛においても。