落ち葉

 彼女はまだ20歳代かな?それとも30歳になったのかな?人が苦手なのか、人が嫌いなのか知らないが、友人は一人もいないと言っていた。現代版友人は、出来るものか作るものか知らないが、僕の場合は前者のパターンしかあり得ない。寧ろ後者のパターンは煩わしくて、必要以上に深入りしないことの方が僕の行動パターンにはあっている。 友人がいるに越したことはないが、いなくても生きていける。寧ろいないことを問題視することの方がマイナスだ。必ずしも人生の前半で出来るとは限らないのだから、いつ出来てもいいのだ。そのうちと言う曖昧さの中に閉じこめておけばいい。 僕は漢方薬を作る人。彼女は漢方薬を飲む人。いつも電話の中でぽつぽつと吐き出す言葉を拾っているのだが、ほんの少々は友情くらいは芽生えているのではないかと思っている。勿論父親くらいな年齢の僕だから、彼女にとっては学校の先生くらいな感覚かもしれないが、僕は素直に彼女の小さな出来事の一つ一つに喜んだり残念がったり出来る。ちょっぴり低い声という以外に何の手がかりもないのに、一人の人物として僕の中にはイメージできている。時折漏らす笑いにこちらも嬉しくなり、倦怠感溢れるろれつにこちらも気分が塞ぐ。  地球の裏側まで数秒で繋がる時代に孤独の定義も嘗てとは違っている。決して友情の対義語ではない。処理しきれないほどの情報の中で孤独であるのは難しい。体温を媒介に、肉声を媒介にしか伝えられないものの領域がどんどん狭められている時代に感情の移入が煩わしくたって、苦手だっていいのだ。落ち葉に劣る言葉だって冬の心は表現できる。