予感

 「食べられるようになったのが嬉しくて、一杯食べてしまうんです。それで又調子が悪くなってきました」  ほとんどの人は寧ろ食べ過ぎを警戒した方がいいと思うのだが、この方のように時に食べることが苦痛の人もいる。同じ食べることが出来ないと表現されても、食べたくても食べることが出来ない人もいるし、食べる気さえ起きない人もいる。この方の場合、若いのに胃ガンの手術をした後の不調だから、食べたくても食べられない方に属した。いや、その病気のストレスは計り知れなかっただろうから、食べる気も起こらなかったのかもしれない。  こんな人を治すのに、胃薬はいらないし、胃薬では治らない。それが証拠に術後3年くらい経っているのに全く改善していない。病院の薬を飲んでいるが所詮胃薬だ。僕が作った漢方薬2週間分で少し、1ヶ月後でかなり、2ヶ月したら完璧に食べられるようになった。だから冒頭のような嘗てなら考えられないようなことも出来るし、それだからこその失敗も出来る。 実はこの方の場合、環境の変化も大きな改善要因なのだ。僕の薬局に来るきっかけを作ってくれた人の友情が大きな要因なのだ。ひょっとしたら漢方薬以上に効いたのかもしれない。それまでは、自分を極端に殺して他人をもてなす職業に就いていたのだが、それもかなり過酷なものだったのだが、その状態を本気で心配してくれ、解決方法を一緒に探してくれた人がいるのだ。僕は立ち入ったことは尋ねないが、断片的な二人の会話や仕草でかなりのことは察しが付く。恐らく大切にされた経験が乏しかった彼女が、本当に人の優しさに触れたのではないかと想像した。その結果、いつも戦っていたような鋭い、いや怯えたような視線が、それは心模様を写していたものだと思うが、とても優しげな目つきに変わった。 「食べられるようになった・・・」は単に消化器系の事だけではない。大切にされながら生きる新たな人生の始まりの予感を、本人が無意識になおかつ象徴的に表した言葉だと思う。