偉人

 新聞の県内版に「牛窓の偉人(黙水さんに光)」と言う大きな見だしが載っていて、時実黙水さんの特集が組まれていた。嘗てしばしば薬局に来てくれていたその人が、なんでいま頃、亡くなって20年も経つのに特集されるのだろうと思い記事を読んでみると、寒風古窯跡群という国指定の史跡を発見した人なんだそうだ。  「その人はいつも杖を片手に、たすきかけのカバン、ワンピースのような服を着ていた」と記事には書かれているが、もし僕が正確に書くとしたら「その人はいつも杖を片手に、たすきかけのボロボロの袋、ワンピースを着ていた」と書くだろう。そしていつも笑みをたたえていて、いや、これも正確ではない、いつもにたにた笑っていた。  こうかくと何やら怪しげな人物を想像するかもしれないが、寧ろそれとは逆の人だ。僕は恐らく彼が80歳くらいから90歳を回るくらいまでつき合いがあったのだろうが、その年齢でもまるで少年のように純真だった。恐らく考古学少年がそのまま老人になったような人だった。考古学以外には見向きもせずに、興味も持たず暮らしたような人だろうと想像できた。 田舎の薬局にも色々な人がやってくるが、基本的には僕は症状以外には深入りしない。その人となりや背景を知ることと、治療効果とが比例しないことを知っているから、殊更尋ねないことにしている。黙水さんについても変わっている人という印象しか持っていなかったが、新聞を見て「黙水さんまつり」を開いてもらえるほど地域に貢献していた人だと知った。60年間で1万点以上の須恵器を発見したと言うから実績はその筋では大したものなのだろうが、何故か気に入られた薬剤師から見れば今で言うオタクだったのだろう。好きこそ・・・を地でいったような人だ。  そんな黙水さんの誰も知らないエピソードを没後20年経って今明かす。彼は医者にかかると必ず僕の薬局に寄り、医者でもらった薬を僕にくれた。そして医者の診断を僕に伝え、その診断名に効く漢方薬を作ってくれと頼まれた。僕はその都度数日分を作り、医者の薬と物々交換した。当時分業が始まっていなかったのでそんな薬を貰っても捨てるだけだったのだが、断じて化学物質を体に入れない姿勢に共感して、楽しみかたがた漢方薬を作って渡していた。 一生を発掘に捧げた変わり者だけあって、生き方も他人の目など一切気にせず、経済も名誉も追い求めず、好きなことだけをすると徹底していたように思う。発見の業績はもちろんだが、その生き方も又お祭りで披露してもらいたい。