熱中症

 どうしても救って上げたい人がいる。勿論毎日そうした仕事をしているのだから毎日そうした思いに駆られるのだが、特別な人が時々現れて、どうしてもという言葉が頭の中を駆けめぐる。 車を運転しているだけなのに熱中症になりそうだった。その為に自動販売機に立ち寄りスポーツドリンクを買うだけで又熱中症になりそうだ。駐車場から教会までほんの少し歩くだけでまたまた熱中症になりそうだ。水分補給さえしておけば何とかなるだろうと闇雲にスポーツ飲料を買って飲んでなんとかたどり着いたが、そこまでして、どうしても救って上げたい人を救うことが出来る力が欲しくて教会に行った。神父さんが信仰とは謙遜ですというようなことを言っていた。もしそうだとしたら僕の薬局に来てくれる多くの人は信仰そのもののような人だし、逆に信仰を気取る人の中に謙遜などほど遠い人もいた。  帰りにポプラってコンビニに寄った。お昼ご飯を買おうと思ってさて弁当コーナーの前で悩みに悩んでしまった。コンビニ弁当には材料の産地までは書いていないようだった。内部被爆は是非避けたいと思うから牛肉は何となく避けたいし、魚のフライも不安だ。餃子の中身は何か知らないから避けたしで、結局何を食べたらいいのか分からなくなった。何となくこの近辺の材料で出来ていそうな弁当を選んだら、ほとんど野菜が入っていなかった。店員さんがぎこちない僕に親切にしてくれて、美味しく食べれるようにしてくれた。温めますかとか問われたので躊躇っていると温かいのを食べた方が美味しいですよとか、ソースをつけておきましょうとか、野菜不足を補うのだったらこのコロッケを一つ追加したらとか、余り買い物経験のない僕はいつも冷たいのを食べていたが、マニュアル通りの会話ではなく、目を合わせて会話できたコンビニでは珍しい一こまだった。当たり前のことをやってくれたのかもしれないが、終始自然な笑顔で応対してくれて僕には熱中症加減を一掃してくれるとても心地よい涼風だった。  難しいことを考える必要はない、自分を過度に律する必要もない。鍛え上げる必要もない。目を見て微笑むことが出来たら命がちょっとだけ喜ぶ。