僕だけのことかもしれないが、およそ楽しかったことなど思い出すことはない。長い人生でそんなものがなかったかと言えば勿論不幸の連続であったわけではない。苦虫をかみつぶすように暮らしてきたわけでもない。だけど思い出すほど実は楽しくなかったのか、いやな思い出の方が圧倒的に優っていたのかわからないが、折に触れて思い出すのは不愉快な想い出ばかりだ。  昨夜、ある女性と電話で話をしていてまたまた思い出してしまった。半世紀くらい前のことなのに鮮明に覚えている。教室での僕とその二人の女子生徒の位置関係まで覚えている。 何年生の時だったか忘れたが、当時新しい学年になると自己紹介をさせられていた。子供が何を紹介するように先生から求められたのか記憶にはないが、ただ一つだけ鮮明に覚えている光景がある。二人の女の子が親の職業で口ごもった。催促する先生に抵抗できずに最終的には言ってしまったが、二人とも泣いていた。幼い僕でも先生の配慮を欠いた画一的な指導に疑問を持った。今の時代では何ら恥ずかしがることではないのだが、50年前、明らかに二人は親の職業を口に出して言えなかったのだ。具体的に出すと田舎町だから特定されてしまうので書かないが、幼い心がどれだけ理不尽な大人によって踏みにじられたか想像に難くない。  その時以来、自己紹介は自分の場合でも他人の場合でも得意ではない。多くの語れるものをもっている人の雄弁と、名前しか言えるものを持っていない屈辱と、どちらの側に立つかと問われたら明らかに後者だ。誰に教わったのではないが、当時抱いた違和感は大人になっても肯定できるものだ。悪意はなくても無神経の刃で人の心なんか簡単に切り裂かれてしまう。守るべき盾を持っていない人には配慮こそが盾になりうる。