対等

 ああ、又いつもの光景かとうんざりする。どうしてこの種の人がこの種の職業に多いのだろうと思ってしまうが、30年も人間を観察し続けているからあながち当たっていないことはないはずだ。 その時二組の方が薬局の中にいた。一人は薬を渡した後、薬の飲み方などを僕に尋ねていた。もう一組は、親子で、ソファーに腰掛けて順番を待っていた。そこに数人の集団が入ってきた。僕は薬の説明をしている人の肩越しにその集団が見えた。毎年この年度替わりに行われる学校の先生達の挨拶回りだ。学校薬剤師をしているから毎年去る先生や、赴任してこられる先生方が挨拶に来てくれる。全て学校ごとに集団で来られる。 先頭で入ってきた男性教諭が恐らく一番の上司に当たるのだろう、入って来るなり用件を大きな声で話し出した。着任の挨拶なのだ。背後から大きな声がしたので、まだ話が途中の70歳代の女性はびっくりして振り返った。そこに数人のスーツ姿の人が立っていたから恐縮してしまって、誰にともなく頭を下げながら出ていった。恐らくまだ薬の飲み方の確認や、養生法なども尋ねたかったに違いない。薬袋に書いてあるからいいけれど、なんだか頼りげなかった。  普通なら、まず順番を考えるだろう。暗黙のルールって何処の世界でもあり、当然それが守られているからこそ、不快な日常を避けることが出来ている。明文化するほどでもない、ごく当たり前のことが出来ない職業の筆頭に僕は迷わず学校の先生を上げる。勿論僕も多くの先生方を知っているから、個人的には優秀な人が多い職業だと言うことも分かっている。だが、ニュースを賑わすことが多い職業だと言うことも知っている。3面記事に載る回数と、本来的な志の大いなる乖離を感じるのは果たして僕だけだろうか。  人の優先権を踏みにじる権利が誰にあるのだろう。何を思い上がっているのかと思うが、僕には思い上がれる根拠が分からない。すれ違う人は皆各々才能を持っていて、それぞれがそれぞれの職業で立派な専門家だ。だからこそ社会は成り立っていて、いわばすれ違う人はみな師なのだ。そんな単純なことが分からなくて、子供を正しく導けるのだろうかと心細くなる。   会議などでは必ず「失礼します」と訳の分からない導入句を使い、謙遜なのか慇懃なのか分からないような態度を取るくせに、一歩社会に出るとイロハが身に付いていない。僕はこのギャップに悩み続けている。どちらが本当なのだと問うてみたいが、恐らく運悪くそう問われたことがない人が、ニュース欄を賑わすようになるのだろう。高慢でもない、慇懃でもない、対等な人間関係に素直に徹すればいいのだ。元々対等な人間関係を教えることが出来る素晴らしい職業なのだから。誰もが誰よりもえらくもないし、劣ってもいない。人間なんてそんなものだ。