爆発

 朝から晩まで、ワイドショウは当然としても、ニュースの中にまでお涙頂戴が織り込まれている。美談が氾濫し、あたかも今怒りの感情を露わにすることがはばかれるような雰囲気だ。そしてそれは必死で誰かが作り上げているような気がする。東北人の忍耐強さを殊更クローズアップして、欲しがりません勝つまではの合い言葉宜しく、都合の悪い輩の都合の悪い企てから目を逸らさせている。 ひょっとしたら今この瞬間にも、とんでもないことが進行しているかもしれない。情報を握っている一部の人間の都合で、生かされたり殺されたりしたらかなわない。数年後、10数年後を保証するものなど何もないのだから、自分の嗅覚を便りに納得のいく落としどころを主体的に決めなければならない。自分の判断なら諦めもつく。  いくら札束を積まれても病気は誰とも共有できない。痛さも苦しさも固有のものだ。何もなかったかのように地球は回り人は笑い鳥はさえずる。こんな何もなかったかのような日常さえ手の届かない彼方のものとなる。天災を諦め人災を恨まないとしたら、孤独な終わりの見えない闘病は拷問だ。怒る権利を放棄せず、押さえ込まず、感情に逆らわないで期待される美談などには振り向きもせず、あるがままの感情を爆発してほしい。