正直

 昨日、新見の野外コンサートからの帰り、岡山市に住む若手の鍼の先生と一緒に帰った。勿論御法度の裏街道を行く人も一緒にだ。さすがの吉本新喜劇ばりのギャグも往復6時間は持たないだろうと思っていたところに助け船で、あっという間の帰路になった。もう着いたの、もう着いたのと3人ともが驚きの声をあげていた。  ギャグが途切れた時間に鍼の先生が漢方薬についていくつか質問をしてきた。その一つ一つに答えていると彼が「大和さんは正直だから面白いですね、講演でもしてもらいたいですわ」と言った。後の方は興味がなかったが、正直だから面白いという部分は耳に残った。そうか、僕は人から見れば正直なのかと言う意外な認識をさせられた。正直と言うことがあたかも希少価値であるかのようにも響いた。  もっとも彼が言っている正直というのは薬剤師としての僕のことだ。それも漢方の分野においてと言う狭い範囲でのことだ。私生活に限れば福山雅治に似ているなんて公言しているのだから、正直どころか、いやこれは事実だ。  彼が一番共感してくれたのは、僕が漢方薬を作るときに一番重視しているのが現代医学の診断結果だってことだ。3000年前か4000年前か知らないけれど、何も診断器機がなかった頃の診断方法(舌診、脈診など)をまるで金科玉条のごとく神聖化して、固執している人達が、それこそ神聖化されて達人ぽく振る舞っている。陰じゃ陽じゃ、裏じゃ表じゃ関係ない。ミクロの世界まで現代医学は解き明かしてくれている。その結果を何千年前の何もなかった頃の診断方法に優先させない理由など全く考えられない。何かしら権威っぽく振る舞わなければならない人達には有用なのかもしれないが、僕みたいな末端の人間にとっては、病院の診断が何よりも優先する。  彼曰く、鍼の世界にも同じようなことがあって、日曜日など全然勉強にならない講習会にも出席させられているらしい。いいことを教えてもらっても、それを実地で検証した方がいいよと言っておいた。講演用の受け狙いだけのものなんていっぱいあるのだから。  どの世界にでもあるものだと思いながら彼の話を聞いていたが、意外と正直と言うのは楽なのだ。無理をしなくてもいいから一番楽かもしれない。正直で失うものもあるが、不誠実で失うものに比べたら、とるに足らない復活可能なものばかりだ。僕がもし他者からそんな評価を受けているとしたら、これに優る楽な生き方はないと思っているから無意識に実践しているだけってことだ。楽を避けて生きるほど僕は強くはないから、恐らく正直の中にどっぷりと浸かることで人生を全うしようとしているだけのことだ。  何気ない彼の感想に、僕の患者さんにも是非正直な生き方を勧めてみようと思った。失う前に失っていれば何も失わないのだから。