去年もこの山の上で次々に登場するミュージシャンの唄を聴きながら、どんな唄が適しているのか考えていた。今年は姿を見なかったが偶然津山市でライブハウスを経営している人が隣に腰掛けていて、同じことをつぶやいていた。 どの歌い手も、勿論グループもオリジナル曲がほとんどだったから、何か訴えようとしている姿勢は十分わかる。ただ城山の野外コンサートだから、聴き手のみんなが必死で舞台に集中しているわけではない。腰掛けている人もいれば、懸命に屋台でものを売っている人もいるし、公園に偶然遊びに来た人もいれば、学校帰りの高校生もいる。幼い子供から80を超えたような人もいた。どの年齢層に向かってどんな唄を歌うのか判断に誰もが迷うだろう。ただ、多くの場合、当然と言えば当然だが、同世代に向けての投げかけのような感じはした。  その中でトリで歌ったグループが際だって会場を盛り上げた。9番目に出てきたグループだったが、彼女のグループの唄を聴いたとき8番目までは前座だと思った。2番目に歌ったのが鍼の先生だったので、彼も含めてと言うことだが、勿論この評価は彼にすぐにコンサートの後に伝えたから、かまわない。思った通りを言っているし、彼もさすがに「やられた」と言うくらい評価していた。  昨年彼女(WAKAKO)は鍼の先生のグループで出たのだが、今年は驚くほど上手くなっていて、会場を盛り上げた。歌唱力や詞や曲の自然さ、仲間や聴き手に対する謙虚さも言うことなかったし、ほとんどの素人バンドは、素人の宿命で自分ばかりが楽しむのが常だが、彼女にはそれがなかった。仕事で培った立ち位置があるのかもしれないが、聴き手に満足を与えることを心がけていた。  県の南東部の牛窓から、県の北西部の新見市まで対角線に移動しなければならないので、大阪に行くより時間がかかり、今帰ってきてあくびの連発だ。昨年も行ったが、高速道路で渋滞に巻き込まれたので今回は違う道を行った。すると今回も又渋滞に巻き込まれて、やっと開演に間に合った。今回は去年の教訓で、渋滞になっても気持ちがいらつかないように、そんな時こそ俄然存在感を増す知り合いを誘っていた。すねに傷を持つ身で、今までに霊柩車以外全部乗ったというような人物だが持って生まれたジョークの達人で、笑いの渦の中で往復6時間近く過ごせると思ったのだ。案の定、眠気覚ましのドリンクがいらないくらい頭の中で心地よい気が巡っていた。  5時間用意された鉄パイプの椅子に腰掛けて聴いていたが、自分でもその体力に驚いた。首こりも腰痛も胃の不快も、大したことがない。身体中の筋肉が弛緩していたのだろう。それは個々の作品の力もあるが、非日常を用意してくれたすべてのスタッフの人達のおかげでもある。その中でダントツは、うどんやサンドイッチ、焼き鶏やコーヒーなどを売ってくれていた近くの高校の父兄達かな。何故高校の父兄がと言う謎は未だ解決していないのだが。