落ちこぼれ

Aさん  「10連休というありがたいGWのお陰か、この3日間は”超”快適です。美容院も久しぶりに行きました。ドキドキでしたが、なんとかクリア。人気のお店の行列にも並べて、鶏の唐揚げをゲット。一人で、でしたがマクドナルドで、コーラとハンバーガーをほお張れました。とても、とても些細な事ですが、大きな1歩です。お腹のが痛くならず、お腹の事を考えない生活。普通の生活を送れる生活。幸せです。」 Bさん  「先日はありがとうございました。おかげさまで2時間の説明会を無事にやり過ごす事ができ、少し壁を壊せた気がします。質問があります。ご飯を食べなかったときはお薬も飲んでいません。お薬だけ飲んでも問題はないでしょうか?では、またお薬をよろしくお願いします。」

 上記のメールをくれたAさん以外にも、震災後何人かの過敏性腸症候群の方が声をそろえて言った言葉がある。「元気だったら東北に駆けつけて何か手伝いたいんですが、だけど私なんかが行ったら、お腹が痛くなって逆に迷惑をかけてしまう」と。せっかくの志を大きく上回る不安が優って行動に移せない人達だ。ただそれはそれでいいと思う。志だけで充分だ。 屈強な心と肉体の持ち主はごまんといるのだから、彼ら彼女らに任せ、こんな時落ちこぼれても何ら気にすることはない。日常をつつがなく過ごすだけで十分貢献している。手を差し伸べなければならない人は、今に始まったことではなく見渡せば手の届くところに一杯いるのだからチャンスは無限にある。寧ろ、東北に行くわけでもなく、そんなことに気がつく術もなく、空虚な強気を振り回し、己の快感だけに浸っている輩よりは比較にならないくらい人道的だ。  被災地を思って自粛しろから始まって、今では被災地のために金を使って楽しめ。どちらも、誰かに強制されて同じ歩調を強いられるものではない。個人の感性で判断して自由に行動するべきだ。どさくさに紛れて大きな力が小さな心の中に土足で踏み込んでこようとしている。自分の小ささを自覚し、より小さきものに対しての思いやりさえ大切にすれば判断なんて滅多に間違えるものではない。風向きだって潮の流れだって漁師は日焼けした深い皺で読んでいる。