真似事

 新年会を兼ねた漢方の勉強会で、都会の薬局の愁いを聞いた。実力ナンバーワンの先生の話だが、一般的な薬局の実情にも詳しく、漢方薬とは縁のない話も参考になった。 都会の話をそのまま田舎に当てはめることが出来ないと言う点が、皮肉にも一番の救いだった。田舎のハンディーが意外とハンディーでないような気もしたし、それだからこそ助けられている点が多々あることを知った。  都会の人は経済的に余裕のある人が多いのだろうと言う漠然とした思い込みは実際にはそうではなく、意外と厳しい人が多いそうだ。田舎のように飲み屋も何もないところだったら無駄な出費がないから、また持ち家が多いから差し引きするとひょっとしたら同じくらいの可処分所得だったりするかも。例えば、薬を門前薬局で出している医院と、自分の医院で出しているところでは、前者は患者が減り、後者は増えているらしい。2度手間になる上に出費が1000円くらい増えれば当然のことだろう。いつも同じ薬を出されているのに投薬指導なんかいらないと言うことだ。景気がよい時代ならいざ知らず、少しでも倹約しようと言う時代だから当然ターゲットにされる。また薬局での買い物でも値切る人が結構いるらしい。僕の薬局では薬を値切られると言うことは、僕の努力を値切られると言うことだから絶対に受け付けないが、幸いにも1年に一人もそんな人が来ないから精神的に救われている。誰でも飲んでいただける値段設定にしていることもあるだろうが、人間関係が一番の理由だろう。  昨日、東南アジアの若い女性が皮膚病の相談に来た。話しているうちに毎日痔の出血があるという。すでに貧血も始まっている。皮膚病薬を出した後、頼まれていない痔の薬も付けて1400円もらった。2週間分だ。彼女は「安いですねえ」と不思議な顔をした。僕はだいたいの彼女たちの給料も知っているし、国の生活水準も知っている。一杯お金を持って帰って欲しいと思ったし、痔出血をしているのにその薬が欲しいと言わないことを不憫に思った。症状を聞いてしまってそれに対する手当をしてあげれないのは辛いから、独断で痔の薬を渡したのだ。田舎で多くを稼がなくても生活できるからこうしたことも出来る。こうした善意の真似事で、薬局の中にちょっとした温かい風が吹けば、厳冬もまた楽し。