ハーフ

 勘が当たってしまったものだから、話が長くなってしまった。僕はその手の情報は全く持っていないから、新しい服を着ているのを見て「それ、ユニクロの?」って聞いただけなのだ。唯一知っている服のメーカーだからそれ以外には口から出ようもない。その店で買い物もしたこともないから、根拠も何もあったものではない。 最近の服は軽いってのはよく聞く言葉だ。何処のメーカーの何が軽いのか分からないけれど、軽そうだねって声をかけると、ほとんどの人が嬉しそうな顔をして饒舌になる。軽いって事は時代の先端を走っていることにでもなるのだろう。僕など錘かと思われるようなものを未だ身につけているから、冬は辛い。人間が軽いって事はよく言われるが、まさか僕の服装を見て軽そうという人は一人もいないだろう。まだ鎧と間違われないだけいいか。  さてユニクロを当てられたその女性はまんざらではなさそうで、ユニクロの製品としては高いと言うことと、さっきの軽いって事を強調した。おまけに、テレビのコマーシャルで黒木メイサが着ているのと同じだと教えてくれた。何でもそのコートの下に温かくなる薄い服を着ただけで、沖縄出身の人間でも耐えられると宣伝しているらしい。その宣伝の内容を詳しく教えてくれた。僕は年賀状の宣伝をしているのかと思ったら、服の宣伝だったのだ。その女性はユニクロの服がいいと教えてくれているのか、黒木メイサと同じ服って事を教えてくれているのか分からないが、服って結構実用的な価値とそれ以外の付加価値があるのだと想像した。実用一点張りの僕からしたら不思議な感覚だが、たった服1枚で会話がつながっていくことを思えば、付加価値の部分のボリュームも結構大きいのだろう。  世にユニクロがあろうが無かろうが、全く関知しない生き方も結構自由でいい。他の分野でも同じだ。徹底した合理主義者だから、有用と必要をクリアしない限り手を出さない。たった二つの簡単な基準さえ守れば物に振り回される生き方をしなくてすむ。これは結構楽で居心地がいいのだ。追求しなければ楽なんてこんなに楽なことはない。求めなければ楽なのだから、ほんのちょっと意地っ張りになればいいだけなのだ。確信犯かずぼらかはそのほんの少し張られた意地だけの差だ。この僕はと言うとその二つのハーフだ。