耳栓

 ある老人が2回目の漢方薬を取りに来て経過などを聞いているうちに「今日、新幹線の電光掲示板で友人が亡くなったことを知りました」と言った。新幹線の座席に腰掛けているときに見えるデッキの扉の上の物だろう。時間をもてあましたときに僕もその文字を追うことも多い。色々なニュースが流れるが、そこに友人の名前を見つけることなどは庶民にはまずあり得ない。何かの犯罪を犯したときの方が、残念ながら庶民には見つける確率は高いだろう。  そこに死亡のニュースが流れるとしたら余程の有名人しかあり得ないから、不思議だなあと思っていたら追加の説明があった。「作家の○○なんですがね」と教えてくれたのだが余りよく聞こえなかった。何か中国人のような名字だった。そこですぐに僕は朝のニュースを思い出して「そう言えば朝から、なんとかという作家が死んだことをくり返していますね」と答えるとそうですかという風な表情で「邱永漢です」と教えてくれた。 テレビニュースで見た顔は記憶があるが名前も実績も知らなかった。少しだけ説明してくれたが、有名なのは分かるが余りにも僕が無知で評価のしようがない。そんな僕の変わらぬ様子にとどめを刺そうと思ったのか、「毎年誕生会に招いてくれていたんですが、今年は連絡がないからおかしいと思っていました。ユニクロの会長も毎年来ていましたがね」とさりげなく言った。そのさりげなくが印象的だったが、あのユニクロの会長と毎年一緒するのだからこの老人もやはり大したものなのだろうと思った。だがやはり、その価値がとんと分からないから、僕にとっては漢方薬を作らせてもらっている感じのよいご老人でしかない。ユニクロの会長はさすがにインパクトは強かったが、お先マックロの僕はユニクロの名前に負けているわけには行かない。 どういった経緯でそんな方が僕の薬局に来てくれるのか知らないが、挨拶代わりにと置いていってくれた著書を見て、「えっ、この方が来たの」と驚いた方がいるからやはり大した人なのだろう。誰にも公平に泥臭く接するのが僕の心情だから、ここは巨大な耳栓を詰め込んでおこうと思った。