偶然

 「・・・・さて私の舌痛症なのですが、3日程前から痛みがだいぶマシになりこれくらいなら全く気にならなくなりました。最初は全然変わらなかったのでやはり手ごわいと思っていたのですが…。本当に凄いですね先生の漢方薬は・・・」  何気なくくれたいつも通りのメールなのだが、僕にとって考えさせられる内容を含んでいる。舌痛症と言う、未だ原因がはっきりしない不快な症状がある。その方に頼まれて漢方薬を作ったのだが、僕としては珍しく初めてのお世話の人にたいして3週間分漢方薬を作って送ったのだ。ほとんど市外の人は2週間分だから本当に珍しい。それには理由があって、以前から服用して頂いているお嬢さんの漢方薬を、症状があまりにも安定しているので3週間分ずつ送っていたのだが、不合理だからお母さんの相談の漢方薬もその3週間に合わせて作って送ったのだ。どうやら偶然それが功を奏したことになる。文面から、3日前から効き始めたと言うことだから18日目頃に効き始めたことになる。と言うことは、本来のように2週間分しか送っていなければ、ああやはり難しいのかと諦めて次の2週間分を飲まなかった可能性がある。すると当然治るチャンスを失って又路頭に迷っていただろう。まさに偶然が功を奏したのだ。  同じようなことは恐らくしばしば起こっているに違いない。だけど僕にはやはり最初から2週間分以上を渡す勇気はない。2週間経てばどうしても作った漢方薬の効果を点検したくなるのだ。効きもしないものを作りたくないし、無駄なお金も使って欲しくない。何度も情報をもらって調節する方が効く確率は高くなると信じているから、やはり2週間にこだわる。ただ飲む方はどうしても奇蹟に近いものを期待してしまうから、2週間で効果を感じられなかったら次の挑戦はなかなか難しい。だからどうしても1回切りというのが多いのだが、本当はそれは大いなる損失なのだ。僕はこの処方で駄目なら次はあれとか一杯ストーリーを考えているのだが、次の打席にはなかなか立たせて貰えない。  不思議に思うかも知れないが、僕は漢方薬が効かなかった場合、当事者と同じように落ち込むのだ。効かなかったショックと効かせれなかったショックの違いはあるが、残念なのは同じなのだ。健康を手に出来ないだけで一気に底辺に落ちる可能性がこの格差社会では大多数の人のすぐ傍にある。僕はその種の不幸は許されないと思う。大きな手助けは出来ないが、僕の知識でお役に立てることが意外と多いから、不本意な偶然で谷底に落ちそうになる人を救えたらと思っている。