距離

 この1ヶ月近く3羽の鳩としばしば遭遇する。最初は上空を飛んで過ぎ去っただけだが、そのうち僕の散歩コースに降り立ち遠くから眺めるようになった。それがつい最近になると、僕から数メートルの距離くらいなら自由に降り立ち何かをついばむような動作を夢中で繰り返すようになった。僕はテニスコートを周回するから、何度か傍を通るのだが、別段気にならないみたいだった。傑作だったのは、数日前に、薬局の傍の空き地にやってきて、それこそ建物と2メートルも離れていない距離で遊んでいた。テニスコートと薬局は結構はなれているから、それこそわざわざ訪ねてくれたような格好だ。もっとも空から見ればテニスコートと薬局の距離などないに等しいのかもしれないが。車の行き来が激しい道路を横断する必要もないし。 そんな鳩は野生なのか飼われているのか分からないが、少なくとも僕に対する警戒心はなくなったみたいだ。ところが今朝見た光景は、僕どころか種を越えた温かい光景だった。鳩のすぐ傍、それこそ30cm位の所で、同じように雀が草むらで何かをついばんでいたのだ。お互い邪魔にならないのか牽制し合うこともなく、同じような動作を繰り返していた。僕の疎い知識では自然界は弱肉強食という冷徹なおきてが支配しているような先入観があるから、大と小が共存する姿は不思議な世界なのだ。又心温まる光景でもある。考えてみれば、恐らくどちらも肉食系ではないから争わないのだろう位の推測は出来るが。それにしても、種を越えた共存、争いがないことは単純に心温まる。 種を越えた共存がもっとも苦手な動物はマムシでもワニでもなく、恐らく人間だろう。ありとあらゆるものが人間の手にかかれば食料となる。いやいや種を越えるどころか、同じ種同志でも多くの殺戮が公然と又平然と行われるのが人間社会だ。それこそお腹の足しにもならないのに、殺戮は後を絶たない。嫉妬、欲望、復讐、あるいは正義など、お腹の足しにならない理由で殺戮できるのが人間の特徴だ。ワニの背中に降り立てる小鳥も、人間の頭には降り立てない。どちらが恐ろしいかよく知っている。  なかなか3羽の平和の遣いくらいでは本当の平和は僕の傍にやっては来ないが、少しでもあやかりたいと、家に帰って早速鳩の餌を調べた。僕の心の平和が底つきそうだから、餌で手懐けておこぼれを頂戴しようと言う魂胆だ。