渡辺和子先生

 不覚にも「有難うございました」と手を握り頭を下げたとき声が震え涙があふれ出した。 この2年近く、僕を信じて懸命に漢方薬を飲んでくれていた女性が、その方の講演を聴いて「私のままでいいんだと思えるようになった」と報告してくれた。もし何人かの人に、不幸な人間を想像してみてと宿題を与えても、彼女の生いたち、そして2年前までの実生活を越える不幸を想像できる人は余りいないのではないかと思えるほど悲惨な人生だった。そしてその結果としての症状も壮絶なものだった。心療内科にかかって出された薬を飲んで余計辛くなって、以後飲まないと言う彼女の拘りがあって、僕のもっとも気になる患者さんだった。住んでいる所が近隣の町という幸運もあって、しばしば連絡を取りながら、会いながら漢方薬を飲める状況を造り二人で努力した。おかげで徐々に、苦しんでいた症状が消えて笑顔もこぼれるようになった。彼女が笑ってくれたときなど僕は内心小躍りしていた。そんなたわいもないことで僕は喜んでいた。体調を回復した彼女にとって後必要なのは、過去を清算できることと、将来に希望を持てることだけだと思っていた。それさえ叶えば、元々持っていた人間味や才能が生かされるチャンスが来ると思っていた。丁度そんな時、玉野カトリック教会の献堂30周年記念の講演をシスター渡辺和子先生が行ってくださることになった。彼女にその事を知らせると家族で聴きたいと言った。嘗て外出することすらままならなかった彼女が、もうその時点で大いなる希望の光を感じていたのではないだろうか。僕は仕事で講演を聴くことが出来なかったから、実際の講演内容を知らない。しかし数日後やって来た彼女が、あれだけ完全否定していた過去と現在の自分を受け入れ許す発言をしたことで、如何に先生の話がキリスト教本来の寛容に充ちたものであったか想像がつく。 渡辺和子先生を僕は新聞やマザーテレサと写った写真くらいでしか知らなかったが、その写真から幾年もの歳月が経っていて、写真の面影を見つけることでしかその方だと認識できなかった。丁度今日のミサの時に近くに席を取ることになったので、その女性と非力な僕自身を救ってくださったことのお礼を是非伝えておきたかった。その女性の講演を聴いての気付きを伝えるととても喜んでくださり「是非生きてくださいと伝えておいてね、私も生きますから」と言われた。その言葉を聞いたとき冒頭の不覚が襲ったのだ。彼女とシスター二人の尊い命の狭間で、僕自身の命も蘇生したように感じたのだ。拙い人生に続編を許されたような気がした。  今日僕の中で初めて、生きる喜びよりも生かされる喜びが優った。