確認作業

 「聞いてくれる?」と言われて、幸せな内容の話を聞いたことがない。ほとんどは何か不安や解決できない問題を抱えたときの言葉だ。その女性も案の定、「いいよ」と僕が答えると堰を切ったように、不安や不満が口からほとばしり出た。僕には経験がないから、昇進がそんなにストレスになるとは思わないが、予期せぬ幸運もそれなりにストレス源らしい。  課のトップが定年で辞めたから、その女性がトップになった。すると今まで一緒に上下関係がなく楽しく働いてきていた女性が、急に色々とクレームや問題を投げかけてくるようになったらしい。そのことに関して不満を感じているのだが、不満から少しばかり恐怖感も加わりつつあった。強迫観念に近い印象も受けた。ところが僕は話を聞いていてすぐに思った。「その女性って、上司が辞める前にはずっと上司にそんなことを言っていたんじゃないの。上司が辞めて、貴女が上司になったから、貴女に言うのは当たり前ではないの。上司と認めてくれている証拠ではないの。向こうはいつも通り仕事をしているだけだよ」一瞬の間をおいて、僕の言ったことをかみしめるように「そう言われればそうじゃな、私も同じようなことを上司に言っていたわ。先生いいことを言うなあ。相談に来て良かった。いつもの漢方薬を作って!」一瞬にして解決したみたいだ。第3者からしたら簡単にひもとけるようなことでも、当事者には難しい。悪い方向へばかり思考の回路は伸びる。  ほんの少しばかり冷静になり考えてみれば分かることでも、当事者には分からない。一人で抱え込んでいたらそれこそ病気になる。彼女が漢方薬を2週間に一度取りに来るから、話す機会があった。あのまま一人悶々と考えていたら、もっと猜疑心に富み、やがてそれが自分に返ってきて、人も自分も苦しめていただろう。  専門的に訓練を受けたことはないが、僕は最近、多くの心や体の不調は、生かされるための反応だと思えるようになっている。苦しい環境も苦しい体調も心も、どれも生きていくための現象のような気がして、生かされていることの確認作業のような気がしている。逆らうことも克服も、それだからこそほどほどでいいのだと思う。