岐阜城

 このアングルはどこからなのでしょうね。40年も前のことだから、そしてどちらかというと忘れてしまいたいような日々だったので、記憶を封印していたように思いますが、岐阜公園の方向から写したのでしょうか。そんな名前の公園はなかったですかね。ただ岐阜城の下に公園がありましたね。僕は毎日柳ヶ瀬にパチンコをしに出かけていましたから、その前はバスで通っていたはずです。写真の左手には忠節橋があるのでしょうか。それとも僕の知らない全く関係ない辺りなのでしょうか。  僕がその辺りを毎日通っていたころ、貴女は高校生、いや中学生?いや幼稚園、いや赤ちゃん、いや生まれていなかったのでしょうね。何の目的もなく日々を浪費していた、寧ろ危ういような生活をしていた青年が、その地で暮らす人の役に将来役に立てるとは思ってもいませんでした。  貴女が縁を喜んでくださったと同じように、僕も嬉しいです。今まで何人か岐阜の人をお世話してきましたが、その都度封印を解いています。職業柄毎日新しいテーマをどんどん突きつけられます。1日はあっと言う間に、1年もあっと言う間に過ぎます。ひたすら問題を解き続けていますから、こうしたタイミングでしか過去のことなど考えもしません。 岐阜駅も新岐阜もまるで庭のように徘徊していたところですが、今はもうまだ見ぬ街になっているのでしょう。まるでヒッピーのような、いや浮浪者のような青年は、今は懺悔するかのように西の田舎で働いていますが、岐阜は僕の価値観のかなりの部分を作ってくれた街です。あの頃のまるで生産とはほど遠い、魂の彷徨こそ貴女の街の、僕に対する恵だったのかもしれません。  貴女に快適な日常を取り戻して頂きたいです。 ヤマト薬局

 岐阜城の遠景写真を送ってきてくれた女性に返事を書いたのはいいけれど、記憶がこんがらがっている。写真を何度も見て、岐女短がこの辺りにあったよなとか、上流か左手だよなとか、今日の課題をそっちのけで考えたりした。 人生で一番頑張らなかった、それでいて精神だけはいつも刃物のようにとがっていた、自分でも時に評価が割れる5年間を1枚の送られた写真が掘り起こした。